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2012年9月20日 (木)

主題 <のろいに関する警告>

聖書箇所 申命記 29章     (2012年 8月22日)

今日のみことば「しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。」(29)
 29章全体では、契約の更新について記されている。今日は特に後半ののろいの警告について注目したい。
 神の民は、エジプトの地において、また荒野をさまよう間に、異邦の民の中に忌むべき偶像を見てきた。神の民は、「万が一にも、主を離れて、偶像に仕える者があってはならない」と警告されている。18節では、偶像礼拝のことが、毒草や、苦よもぎを生ずる根と、表現されている。
 19~20節には、こののろいのことばを聞いても、自分は大丈夫だと、心の中で自分を祝福する(うぬぼれる)者を、主は決して赦そうとはされないと書かれている。「潤ったものも乾いたものもひとしく滅びる」とは、砂漠の熱風が、すべての植物を枯らしてしまうところからとられた、たとえである。また、主の怒りとねたみが燃え上がると言われている。特に、ねたみということばが、主に関して用いられる場合、人のねたみとは異なり、あくまでも契約を守ろうとされる、神の熱心を表している。
 この書に記されたすべてののろいの誓いが、その者の上にのしかかる。どのようなのろいかは、前日の通読箇所だった28章15-68節で見たとおりである。さらに、主は、その者の名を、天の下から消し去られるのである。
 後の世代の人々が、彼らに下されたわざわいを見て、「なぜ、主はこの地に、このようなことをしたのか」と問うなら(24)、人々は即座に、神の民が神との契約を捨て、偶像に仕え、それを拝んだからであると、答えるというのである(25-28)。これは、私たちが学ぶべき歴史の教訓である。