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2013年1月16日 (水)

主題 <アハブの幼稚さ> 

聖書箇所 列王記第一  20章  (2012年12月29日)

今日のみことば「主はこう仰せられる。「私が聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、…」(42)

 神はあわれみの中に、戦争に勝利させて下さった。敵が「イスラエルの神は山の神」で「平地の神でない」と嘲られたがゆえに、神が勝利を与えられたのです。ところがアハブ王は、一番大切な決断の時にあいまいな態度で戦後処理をしたのです。
多くの味方軍を失った敵王をわが兄弟と呼び、凱旋将軍のように扱った軽率は、幼稚な未発達な精神である。
 人にほめられるとすぐに悪のりをするこの男は、結局神が用いることのできない人物であった。預言者は自分の体を打たせ、体を張って王アハブに神のさばきを宣告する。アハブは今まででの最高の得意絶頂な時に厳しい神の宣告を受け、43節に王は不機嫌になり激しく怒り自分の家でふて寝をきめこむのです。
 21章でも思うようにならぬとアハブは、幼稚で甘やかされて育った人格を見せます。人間はたとえどう育った土壌だったとしても神に取り扱われるならば変えられるのですし、用いられるのです。しかし心をかたくなにして拒むなら、裁きのみことばが必ず生涯で実現することになるのである。

<祈り>主よ。あなたを恐れることを、実際に日々現せますように。