主題 <熱心さでけでなく>
聖書箇所 列王記第二 10章 (2013年 1月10日)
今日のみことば「しかし、エフーは、…主の律法に歩もうと心がけず、…その頃、主はイスラエルを少しずつ削り始めておられた。」(31-32)
エフーは、実に熱心な男であった。16節に「私の主に対する熱心さを見なさい。」とあるが、目を見張るばかりである。
けれども、熱心さが本当の熱心さでなく、肉的な、わがままな熱心さであったことがわかる。たいてい、恵まれていない人、肉的な人というものは、自分の熱心さを見せたがり、自分の熱心を誇るものです。
たしかにエフーは、ある点ではみこころにかなうことを行なったといえる。しかし、大切な点で主の律法に歩もうとしないのです。自分本位の、わがままな服従といえる。
人間は人の前に熱心でありつつ、なおさばきを受けることがある。
全部の思いをキリストに明け渡した服従、大事でなく小事でも委ねた服従こそ、神が求められる信仰者である。きよめられる迄のクリスチャンの姿ではないだろうか。
<祈り>主よ。あなたの前には、裸同然です。いつわりの熱心や、人に見せるための偽善から解放してください。