主題 <エステルの賢さ>
聖書箇所 エステル記 7章 (2013年4月30日)
今日のみことば「王妃エステルは答えて言った。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。」(3)
ついにエステルは自らの身分を明かしたのです。たとえ王妃であっても、王の好意を得なくては一切の特権は失われることは明らかでした。エステルの出身、ユダヤ人であることを明らかにし、ユダヤ人の絶滅の危機を王に訴えて、民族の命を王に求めたのです。「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(4;16)という告白表明の通り、文字通り生命をかけたとりなしでした。この王への願い事を言える時をどれだけ待ったことでしょうか。このとりなしを願うために、王に対し心くばりをし、「王国の半分でも、それをかなえてやろう」といわしめるための尽力は、並々ならぬ努力だったでしょう。
栄光が一転して挫折に変わったハマンは、エステルに命乞いをし、それがまた悪印象となってモルデカイのために用意した柱に自分自らがつけられたのです。それで、王の憤りはおさまった(10節)という。激しい野望は王の怒りとなり、さばきとして終了したのです。
それにしてもエステルの賢さはどこからくるのでしょうか。神の知恵と献身は祈り求める者に授けられるのです。
<祈りの課題>自己保身でなく、自己献身の生活を