主題 <祈りの声を聞かれる主>
聖書箇所 詩篇 28篇 (2013年7月11日)
今日のみことば「ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。」(6)
この詩篇を読むと、作者ダビデは、主から答えが与えられるまで、祈り続けたことがわかる。
ダビデはまず、彼の祈りに神が耳を傾けてくださるようにと訴えている。はっきりとは書かれていないが、彼は死を目前にするような、危機的な状況に置かれていたようだ。彼は神に呼ばわっている。それは叫びに近いものであっただろう。「私の祈りに答えてくださらないことがないように。死んでしまうことがないように」と訴えているのである(1)。「手を…聖所の奥に向けて」祈るというのは、祈りが神に届くようにという熱烈な願いの表現であった(2)。
どうやらダビデは、知らぬ間に、悪人たちの陰謀に落ちてしまい、自分が悪者であるとの熔印を押され、その結果、今にも命を失うような危機に瀕していたようである。ダビデは悪人たちに、神の公正なさばきが下るように、また自分が罪人扱いされたままで命を失うことのないようにと祈るのである(3-4)。
このように祈っていくときに、彼の心の中には、神が祈りに応えてくださったという確信が湧いてきた(6)。悪を行う者は、神がなさることや、神の御手のわざを悟ることのできない者たちなので、神は必ず公正なさばきを下される(5)。ダビデの祈りの内容は一転して、賛美と感謝に変わるのである(6-8)。まだ結果を目で見たわけではないが、彼は祈りの中で確信が与えられ、神を賛美するのである。
私たちも祈る時、主の前に祈りが届いているという確信を持って祈り続けていくことができたら、祈りほど主にある交わり、恵みの時はないかと覚えられたら幸いである。