主題 <神との交わりを求めて>
聖書箇所 詩篇 27篇 (2013年7月10日)
今日のみことば「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」(4)
詩篇27篇の背景に、ダビデの息子アブシャロムの謀反により追われる身となり、困難な状況にあって歌われた詩篇と考えられている。この時、ダビデは4節にあるように、主の家に住み、主を仰ぎ見ることを求めている。つまりは神との変わらない交わりを求めました。
なぜ、ダビデは神との交わりを求めたのでしょうか。特に、危機に際し、あるいはいのちが短いと感じさせられる中で神との交わりを求めたのでしょうか。それは、神こそが救いであり、いのちのとりであり(1)、悩みの日の隠れ場であるから(5)と告白しています。ダビデは目先の危機に際して、この地上にありながら永遠に目を向けています。そして、神こそが最終的な救い、いのちをもたらし、困難な悩みの日に際しての本当の守りの隠れ家であることを確信していたからでした。
詩篇27篇7~12節では、具体的な危機に際し、主の助けを求めていますが、そのように求めるに先立って主との交わりが絶たれてしまうことを恐れ、とこしえに、永遠に変わらない神との交わりを求めていったダビデの信仰の姿勢に学びたいと思います。詩篇23篇6節に「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」とあり、主なる神が私たちの人生の導き手、羊飼いであることが歌われている詩篇において同様なことが歌われています。永遠にある主との交わりに勝るものはないことを覚え、私たちも求めていきましょう。