主題 <すべての手を封じる神>
聖書箇所 ヨブ記 37章 (2013年6月 8日)
今日のみことば「神はすべての人の手を封じ込める。神の造った人間が知るために。」(7)
エリフの言葉は、自然に現れた神の栄光を語る。36;26-33には、秋の時期。37;1-13は冬の時期、14-22は夏の時期を語る。ことに冬は大雪の季節で人々は憂鬱な閉じ込められた季節である。だが、この封じ込められた中で神は人に語るのだというのである。
新共同訳聖書は、「人の手の業をすべて封じ込め/すべての人間に御業を認めさせられる。」と訳している。苦難に囲まれて、いくら忍耐しても出口が見えない時期に、神は神の方法でみこころを示されるというのである。そうした神経験をした聖徒たちは多い。
人の手のわざを封じ込めてから、神が立ち上がられるということには、いくつかの取り扱いがあることを考えられる。
第一に、神のみこころはそう簡単に答えが出ないと考えられる。だからといって延期なさることではない。ただ人間の側で神から語りかけられることを真剣に求めることを望まれている。
第二に、人間の考えではどれほどに考え抜いても答えが出ないが、神は人を正しく導かれる。
第三に、神が造ったすべての人間に神のみわざを認めさせるのである。
使徒パウロは、特別な賜物と共に、深刻な苦悩が与えられていた。そのために切に祈ったが、神は答えられた。『私の恵みはあなたに十分だ。わたしの力は弱さに完全に現れる』(Ⅱコリント12章)
それゆえに、自分の弱点を誇るほどの突き抜ける信仰をにぎった。