主題 <神がついに登場された>
聖書箇所 ヨブ記 38章 (2013年6月 9日)
今日のみことば「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。」 (1)
ヨブ記において、ついに神の登場となる。どんなにヨブにとって願わしいことだったろうか。しかし、この神の登場はヨブにとっては自己の真実に直面する契機となるのである。 ヨブは自分の苦しみが襲い、どうしようもないときに三人の友人が来て三日三晩も悲しんでくれたが、そこは所詮人間であった。ヨブの苦しみはヨブに問題があったことを告げても、希望を告げる言葉ではなかった。かえってヨブの心をかたくなにし、ヨブの自己主張を積み重ねるだけだった。
ヨブは神そのものに解答を求めたのだ。神は嵐の中からヨブに語るのである。聖書の人々は、しばしば嵐の中で神に聞き、心から神に明け渡すことによって勝利を得る道を見いだした聖徒がいる。たとえば、ヨナはタルシシュ行きの船に乗り、大嵐を経て大魚の腹の中で悔い改めた。エリヤは大きな自然現象の後に神の声を聞いた。弟子たちはガリラヤ湖の湖上の嵐の中におられる主を再発見したのである。
大自然の脅威を経験してはじめて、人は謙虚になる。それまで何でもできるかのように高慢な振る舞いをしていた姿は影を潜める。
試練の中から人間は人となるのである。それまでの人間は獣(ケダモノ)であり、三人の友人さえそうであったことを思い知らされる。
さて神は直接にヨブに苦しみの意味を語っておられるわけではない。神の答えはもどかしく思われるかも知れない。だが、ここで神は人間は自分の分を超えて思い上がらないということを知らしめているのである。