主題 <神は人をどこまでも追い詰める>
聖書箇所 ヨブ記 40章 (2013年6月11日)
今日のみことば「あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。」(8)
神はヨブの持つ罪の問題をどこまでも追い詰める。
38章の自然の世界と39章の動物たちの世界を語られて、ヨブは降参した。その告白として、また祈りとしてこう述べたのである。「ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。」(4節)
ここには、自分の無知と高慢さに気付いたヨブの率直な告白がある。無条件降伏と見えるヨブのことばだ。
だが神はここで終わらない。自己の弱さや小ささに気付くことはとても大事だ。だが神は彼をさらに神の国の高嶺へと導くのである。なぜなら自分の小ささに気付いても、どんなに謙虚な姿勢であっても、自己の神の前にある罪の認識がなくては、信仰が意味をなさないからである。
ヨブが神のさばきを無効にし、自分をどこまでも義としようとすることによって神を罪に定めるという。ここには究極的な自己義の姿がはっきりと示されてくる。信仰を持っているといいつつも、自己を義とする以上は、不信仰よりも始末が悪いのだ。しばしば、この点で自分が見えないと思えるクリスチャンたちがいることも事実だ。
神の前に自分を悔い改めることは、神の前に靴を脱いだ旧約聖書の聖徒たち(モーセやヨシュア、ダビデたち)のように、新約聖書の使徒やパウロのように聖めを経験するまで神は捨て置かないのだ。