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2014年6月11日 (水)

主題 <自我の主張を支配できない人間>

聖書箇所  ヨブ記 41章     (2013年6月12日)

今日のみことば「あなたは釣り針でレビヤタンを釣り上げることができるか。輪繩でその舌を押えつけることができるか。」(1)
 
人間がうめき、嘆くのは、混沌としているためだ。その混沌とは、悪人と思える人間は栄えていて、義なる私がなぜ苦しまなくてはならないのか。悪人と思える人間が打ちのめされさえしていたら、少しは胸のつかえが楽になり、納得もいく。しかし、ヨブの中にある自己を義とするゆえに納得がゆかないので悶々としているだ。
この怪物こそ、<レビヤタン>(口語訳では「わに」)なのである。「わに」のようにすごい怪物が、自分の中で動き回っている。その怪物を釣り針のようなもので釣り上げられるか。こうしてだれよりも苦しみのたうち回っているのがヨブなのである。
この混沌を支配し、治めることができるのは神のみであると神は言う。神は創世記1章2節で、「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」(第三版では、「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」と訳している)。地が茫漠としている中で、神の霊が地を舞かけるのである。そしてこの茫漠たる地に神の「光」があって、素晴らしい世界が出現することとなる。(創世記1;3)
 自分でもがいて、誰かに訴えても、だれも真剣にならない。だれもそこまで届かない。だが、神はヨブをここから引き上げるのだ。この混沌を支配できるのは神だけだ。神の御手にゆだねる以外にないし、神は善にして善のほか行いえないのだ。神はヨブをして、低級な信仰生活に終わらせたくはない。より優れた信仰者にしたいのだ。