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2014年6月16日 (月)

主題 <今、この時に与えられる確信>

聖書箇所  詩篇  59章     (2013年8月11日)

今日のみことば「神は私のとりで、私の恵みの神であられます。」 (17)  

詩篇59篇の表題には「ダビデを殺そうと、サウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに」とあり、サムエル記第一19章11~17節には、サウル王がダビデを殺そうと使者を遣わされたが、ダビデは危機一髪のタイミングで逃れることができた出来事が記されている。この時を背景にこの詩篇が歌われているとするならば、この詩篇は絶体絶命と言えるようなわずかな時間にあって、ダビデは神に助けを求め(1-5)、敵対する者に対してのさばきを願い(10-13)、神こそがあらゆることから守ってくださるとりでである(9,16-17)と告白に至っている。それは危機的瞬間において、ダビデは現状を主に訴え、主こそが唯一の守り、とりでなるお方であると確信に至っているという非常に凝縮した神との交わりをもって確信に至っていたということになるのではないだろうか。
私たちは一時、一瞬では何もすることは出来ないと考えるかもしれない。しかし、わずかばかりの時間であってもダビデのように、全幅の信頼をもって神を求め、主のなされる御業に期待して祈り求めていくことができることを覚えたい。そして、私たちも一時、一瞬という時にこそ主に祈り求めていく信仰が問われているのではないだろうか。
また、ダビデは自らにはどうすることもできなくても、主の力に大きな期待をもっていた(11)。私たちではなく、主の御業があり、主が働いてくださり、主の最善があるということに希望をおいて歩む者でありたい。