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2014年6月11日 (水)

主題 <ついにヨブの勝利がやってきた> 

聖書箇所  ヨブ記 42章     (2013年6月13日)

今日のみことば「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」(3)

 ヨブ記の最後を読み、これまで途中を飛ばして読んできた方々にとって、42章の結論はわかりやすいかも知れない。しかし、じっくりと長い時間を真剣に読まれた方々には、実は途中の戦いの言葉こそ意味があったことを発見されたことだろう。神ご自身を知ったヨブの祝福が倍になった、ああよかったというように、やっぱり神は真実だと思って終わるのではない。
 ヨブは、自分自身の自己嫌悪ではなく、聖なるお方に触れた中での驚きを記している。イザヤが聖なるお方の前で「ああ、だめだ。」と叫んだように、自己中心な世界観から神中心の世界観に変化したのである。
 それは、神について知る出来事ではなく、神を知った出来事である。これまでのヨブの精一杯の自己保身の言葉によって、とんでもないことをしでかしていたのだ。自分で悟り得ないことを叫んでいたのだ。それが自我の根源の問題、自己の納得が行かなければやめない罪性なのである。
 この罪性ゆえに、霊魂の中で休むことができなかった。今、神の前における絶対性を知り、神を神とし、友にために祈ることによって、嵐にもみくちゃになっていた心は、(詩篇131: 2)「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。」と静かに語る。
神はこんなヨブを放って置くはずがない。子どもが倍に、財産も倍になった。もう一度、ヨブ記を読み返さなくては、………と願う。