2012年2月 2日 (木)

主題 <神の大きな忍耐を知る>

聖書箇所 ペテロの手紙第二 3章 (2012年 1月13日)

今日のみことば「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(9)

 現代は終末の時代です(3節)。だから、神に従わない不敬虔な人々がはびこります。
こうした時代に生かされているあなたが、心得る三つのことを8節に記しています。
1 他の人々に動揺させられないこと 

                                         

2 神は実に忍耐深い

                                         

3 悔い改めに進むことを願う神

                                         

神を信じる生活が、新しい世界を待ち望む素晴らしい信仰に支えられるものです(13節)。
今日をどう生きたらいいでしょうか。
1)11節                    

2)12節                    

3)14節                    

主題 <敬虔な者たちと不義な者ども>

聖書箇所 ペテロ手紙第二 2章  (2012年 1月12日)

今日のみことば「これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。」 (9)

 この章には悲しい記事が満ちている。その中心は、自分たちを救ってくださった主を否定するにせ教師が群れの中から出てきて、自分が速やかな滅びを招くだけでなく、多くの者が彼らの好色にならうからです。
悪い人はその人だけではなく、仲間をつくり、共に滅びの道連れをつくる。サタンは文字どおりそのように地獄の子を連れ込んでいる。
 敬虔な信仰者は影響力をもっている。だがしばしば悪の誘惑にさらされて悪戦苦闘しているのだ。9節に『主は誘惑から救い出してくださる。』と証しする。
 不義な者どもは、どの様に働いているのだろう。
1)滅びをもたらす異端を密かに持ち込む
 作りごとのことば、によって人々を食い物にする。
2)汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩む、(10)多くの者が彼らの好色 にならってゆく。
3)高ぶって、権威を侮る(10)
 大胆不敵で、尊大な者、栄誉ある人をそしる。
周囲に同じような不義と見える人々がいたときに、御使いのような賢さを学んでおきたい。(11)なぜなら、神が神であられることをまもなく示すのですから。
<祈り>主よ。幸いをこわさないで、作り上げる一日としてください。

主題 <備わりますます豊になるなら> 

聖書箇所 ペテロ手紙第二 1章  (2012年 1月11日)

今日のみことば「これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」(8)

この書は、神を知ることの素晴らしさを各方面から上げて、ますます豊かになるように励ましている。3回『ますます』とあります。
 消極的だが、神と主イエスさまの恵みを知らない時には、
1)役に立たない者、(8)
2)実を結ばない者、(8)
3)近視眼であり、盲目で、きよめられた事を忘れる。(9)
4)つまずく(10)
積極的には、
1)いのちの敬けんに関するすべての事を与える。(3)
2)世の欲を免れ、神の御性質にあずかる。(4)
3)永遠のみ国に入る惠みです。(11)
このために、5~7節にあるように1つの徳に追加的に、補うように、加える努力をしていくのです。
例えば、『信仰』に対しては『徳』を加えていく。信仰だけで十分であろうと思われるものにプラスアルファをする事で一層神を知る事となり、ますます豊かにされてゆくのであり、神の御性質に似る者とされてゆくのである。 
<祈り>主よ、一つの性質で安んじていないで、そこに新たに徳を加える事によって豊かにされますように。
<きょうの課題> 
あなたがますます豊かになる歩みを記して下さい。

主題 <信仰にあって堅く立つ> 

聖書箇所 ペテロ手紙第一 5章  (2012年 1月10日)

今日のみことば「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(10)

ぺテロの手紙第一の最後の章である5章において、具体的な勧めをなしている。この勧めは単なる論理的な勧告というよりは、これまでのぺテロの過ちや失敗から多くを学んだ純粋な経験に基づいてのものであったと言えます。
 「神の羊の群れを、牧しなさい。」(2)とあるが、かつてペテロも復活の主にお会いして、再献身した際に、「私の羊を飼いなさい」(ヨハネ21:15)と命じられた。教会の誕生から間もない初代教会において、各地に誕生した教会、キリスト者たち牧会することは、重要な働きであった。また、迫害の中の困難が予想される中では急務でもあった
「みな互いに謙遜を身に着けなさい。」(5)とあるが、これはいつの時代においても重要なことである。かつてぺテロはイエスに足を洗って頂いたことがあったように(ヨハネ13:1~17)、主イエスの模範のように謙遜さを学び身に着けていくことが出来たらと願わされる。
「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」(9)とあるが、かつてぺテロは主イエスの裁判の場に居合わせて、三度主を知らないと否定したが、これは悪魔に試みられた経験であった。しかし、主イエスは「あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」(ルカ22:32)と執成して下さった。悪魔に力ずくで立ち向かうことは出来ない。しかし、悪魔の試みに対して重要なのは、イエスが祈って下さったように、「信仰」である。だから、ペテロは、「堅く信仰に立って」と強く勧めている。
 ぺテロの手紙第一5章10節では、この手紙をしめくくるにあたり、単に戒めて勧告したのではなく、弱さや失敗の中で、今は恵みとあわれみによって生かされていること、そして希望を語って手紙を締めくくっている。
私たちも失敗の中から学びつつ、主にあって恵みの内にあることを感謝しつつ歩ませて頂きたい。

主題 <苦しみのときに、主の御霊が> 

聖書箇所 ペテロの手紙第一 4章 (2012年 1月 9日)

今日のみことば「むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(13~14)

 4章前半では、苦しみときよい生活について語っていきます。苦しみときよい生活に一見どこに接点があるかと思わされるが、「肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。」(1)と言われているように、肉体において苦しみを受けている時に、私たちは、罪を犯すことから守られていることがあるのである。それは、人間は苦しみに中にあって神を求めていくようになり、神のみこころを求めていく者に変えられていくことがある。その模範を旧約聖書のヨブの姿に見ることができ、またイエスのゲッセマネの園での祈りの姿に見ることができる。苦しみは神から遠ざけること以上に神に近づけていくことに働くのを見るのである。
 7~11節に万物の終りが近いことを自覚しながら勧めをなしている。苦難の中にも積極的な生き方が勧められている。最終的にはキリストにあって神があがめる者となることを期待されている。
 ぺテロの手紙が書かれた頃、ローマ帝国の皇帝はネロ皇帝であった。ネロ皇帝は宮廷の庭で毎日、ただキリストを信じ告白するクリスチャンたちを焼き殺していたと言われている。
 4章後半では、「あなたがたの間で燃えさかる火の試練」(12)とあり、当時のキリスト者がどんなにいのちに関わる危険の中にあり、迫害下にあったかを連想させられる。 しかしながら、ぺテロはそのような状況にあっても、この事態を積極的に受け止めていくように勧めている(13)。
なぜなら「キリストの名のために避難を受けるなら・・・神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(14)と述べ、それは単なる空元気でも気休めでもなく、ぺテロの大きな確信があったからでした。
 かつて、ステパノも迫害の中に聖霊に満たされていた(使徒7:55)。苦難の中に、神の御霊、主と共にある恵みを改めて確認したい。

主題 <祝福を受け継ぐために>

聖書箇所 ペテロの手紙第一 3章 (2012年 1月 8日)

今日のみことば「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(9)

3章1~12節は、従うということ、特に夫婦関係において従うことについて勧められている。この勧めは当時の社会においては斬新なものでした。
 ぺテロは妻たちについては、無言のふるまいによって、神を恐れかしこむ清い生き方をし、柔和で穏やかな霊を心に持っていくように勧めました(1~4)。単に夫に従うというのではなく、神を恐れる信仰によって歩み従うということを勧めている。夫たちについては、妻をいのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬するように勧めました(7)。尊敬するということの中に、やはり神を恐れる者同士、互いを受け入れ合うという柔和をもって仕えること、従うことを勧めました。
 ぺテロは、人間関係において従うということが、互いを受け入れ合い、一致を築くことになり、その歩みは平和を求めていく歩みにもなることを教えている。神は困難の中にもキリストがそうされたように従い仕え合う歩みをする者を覚えて下さり導いて下さることを覚えよう(11~12)。
3章後半から4章全体にかけて、使徒ぺテロは新たなテーマで語り始めていきます。そのテーマを一言で言うならば「苦しみ」ということになると思います。
 ぺテロは前に「主の目は義人の上に注がれる」(12)ことを確認しているが、その義人、主にあって正しい歩みをしている者にも苦しむことがあるという現実を語っている。しかし、苦しみを否定されることではなく、積極的な意味でとらえているという面が注目すべき点てあると思います(14)。
 確かに苦しみなどだれも望まないでしょう。しかし、苦しみに直面するときがあるのです。それもどんなに正しい歩みをしているという人でもです。
聖書の中の人物で、ヨブにしても、そしてイエス・キリストにしても苦しみを経験したのでした。でもその苦しみは、より大きな祝福につながったことも事実であったことを覚えたいと思います。

主題 <キリストにならって>

聖書箇所 ペテロの手紙第一 2章 (2012年 1月 7日)

今日のみことば「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(21)

 使徒ぺテロは、ぺテロの手紙第一1章後半から神のみことばは変わることなく、私たちを導き、キリストの姿、み教えにより変えられていくことのすばらしさを語り、2章においても、その神のみことばによって成長させられていくようにと勧めている(2)。
 また、2章3~4節「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい。…」と書き送っている。
試練の中にある当時のキリスト者たちに向けて語られたことを覚え、今日も
もどのような境遇にあっても、キリストにこそ真の愛、慰めがあることを覚え、キリストのもとに立つために、主のみことばに聞き、主を求めて行く者でありたいと思います。
 キリストのうちにある者たち、キリストを土台として歩む者たちについて、 「神の所有とされた民」と言われおり、神のものとされた人々により、さらにこの驚くべき神の愛、御業をあかしされていくためにも用いてくださるという恵みに感謝しつつ歩ませて頂きたい。
 11節~3章12節は、この手紙の中で中心的な内容が語らえている箇所である。使徒ぺテロはこの箇所で、どのように人間関係を築きあげていくべきかを教え、大きくは3つのことに触れている。一つは神を畏れるということ、二つ目に現実の生活において訓練される事、最後に他者に仕えることである。
 使徒ぺテロは、2章後半において、反対者たちに苦しめられていたとしても、善をもって行なうことを強く勧めている。時として私たちは反対者に対して、非難すべき言葉をもって対峙してしまうことはないだろうか。相手の非難の言葉を黙らせるのを考えるのではなく、むしろ良き業をもって仕える姿勢がいつしか反対者の心さえ変えられてくることになることを覚え、善をもって証していくことが重要である。(15)
 その模範となられたのは主イエス・キリストである。キリストこそがまずそのように地上において歩まれたということを覚えたい。改めて、私たちはキリストの歩まれた歩みを模範として歩ませて頂きたい。

主題 <変わることのない神のみことばによって生きる>

聖書箇所 ペテロの手紙第一 1章 (2012年 1月 6日)

今日のみことば「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(23)

 使徒ヘテロは12使徒の中でもその人となりを聖書から伺い知ることができる一人である。主イエスの弟子として歩む中に、誰よりも主に従うことを表明しながら、しかし、主イエスが捕らえられ裁判の場にあった時には、三度も主を知らないと否定してしまう弱さを持っていた人であることが聖書に記されている。
 そのようなヘテロが再び、主に召されて、「わたしの羊を飼いなさい」との命令を受けるということは実にあわれみでしかないことを思わされる。ヘテロは教会を牧する使命が与えられるが、その時、主の教会はローマ帝国からの迫害にさらされるのである。再び、主を信じるという告白が命に関わる時代となるが、この時のぺテロは、否定するのでも、逃げるのでもなく、当時の教会を慰め、励まし続けていくのである。そのことがヘテロの手紙には表れている。
 今日の私たちにも、人間の弱さを知るペテロは、神の御力による守り(5)があることを知らせてくれている。
使徒ぺテロは、信仰者として歩むときに、しばしば試練の中に立たせられることを語ったが、その試練を通される中で、後に与えられる神の祝福、栄光のすばらしさについて語ってきた。
 以上のことに続いて、1章の後半では、身を慎み、従順に歩むように勧めている(13~15)。使徒ぺテロは神に従う歩みについて教えていくが、そこには、かつての律法学者、パリサイ人のような多くの命令、禁止事項を守るというような生き方ではなく、神は私たちの生活全体が神にもっと似るように造り変えて下さるのであって、私たちはその主に従うことを願っておられる。それ故、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」(16)とある聖なる者とされるということは、主のあがないに始まり、主のみことばによって変えられていく歩みであるということを改めて覚えていきたい。
 神のみことばは今日に変わることなく、私たちを主に似る者とならせて頂くために与えられていることを感謝したい。 

主題 <忍耐ととりなしの祈り>

聖書箇所 ヤコブの手紙 5章   (2012年 1月 5日)

今日のみことば「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」 (13)

 世界には、数え切れない苦難、差別、迫害があります。貧しい人々が富める人々によって搾取され、しかも弱者は抵抗しないのです。抵抗できないのです。それをよいことに、ますます増長してきます。このような時に正しく行動したいのです。
その秘訣は、忍耐です。この忍耐のすばらしさと結末を7-11節から列挙してみましょう。
1                                       

2                                       

3                                       
13―20節は、あなたがたのうちに苦しみ、喜び、病気の人への祈りのすすめであり、最大の困難である罪を犯した人への祈りです。
 いつの時代も、祈りの必要があります。今日のあなたの祈りを書いて、そこに集中して祈りましょう。そしていつも今日の箇所を忘れないために、聖句を暗唱してください。どの箇所でもかまいません。心にとどめたい聖句を書き出して下さい。

主題 <へりくだる者に恵みをお授けになる>

聖書箇所 ヤコブ手紙 4章    (2012年 1月 4日)

今日のみことば「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(6)

人間性の最大の問題は、争いであり、戦いです。からだの中で戦うとあるように、自分の心の中で、内的な欲望や自己中心の罪の問題です。この罪の心の中核に存在していることが高慢です。すなわち神に従おうとせずに神に敵対する心が占めてしまいがちです。人と比較して少しばかりの優れた点を誇るのです。
 ところが、ほんとうの世界、神の支配されている世界は、反対の方向に向かうのです。
第一に、心の中に聖霊を住まわせていることを再確認しよう(5節)。
第二に、神はさらに豊かな大きな祝福、恵みを与えたいと望まれていること(6節)
第三に、へりくだり、神の主権を認めよう。
なんと神は、低くなる者を高く引き上げて下さるというのです。神の世界では、人間の世界の考え方は通用しません。こここそ、本物の人生、長い間求めてきた理想とする世界が存在しているのです。だからこそ、神を求めるときに、長い間の解決できなかった問題が突き抜けることとなります。
 これまでの人生を振り返り、自己中心を悲しみ、泣くのです(9節)。これまでの笑いや無意味な喜びを取り替えるのです。取り替えられた信仰者は、神を相手に生きるのでほんとうに強いのです。
 暗唱する聖句を書き出して下さい。