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2012年2月 2日 (木)

主題 <信仰にあって堅く立つ> 

聖書箇所 ペテロ手紙第一 5章  (2012年 1月10日)

今日のみことば「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(10)

ぺテロの手紙第一の最後の章である5章において、具体的な勧めをなしている。この勧めは単なる論理的な勧告というよりは、これまでのぺテロの過ちや失敗から多くを学んだ純粋な経験に基づいてのものであったと言えます。
 「神の羊の群れを、牧しなさい。」(2)とあるが、かつてペテロも復活の主にお会いして、再献身した際に、「私の羊を飼いなさい」(ヨハネ21:15)と命じられた。教会の誕生から間もない初代教会において、各地に誕生した教会、キリスト者たち牧会することは、重要な働きであった。また、迫害の中の困難が予想される中では急務でもあった
「みな互いに謙遜を身に着けなさい。」(5)とあるが、これはいつの時代においても重要なことである。かつてぺテロはイエスに足を洗って頂いたことがあったように(ヨハネ13:1~17)、主イエスの模範のように謙遜さを学び身に着けていくことが出来たらと願わされる。
「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」(9)とあるが、かつてぺテロは主イエスの裁判の場に居合わせて、三度主を知らないと否定したが、これは悪魔に試みられた経験であった。しかし、主イエスは「あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」(ルカ22:32)と執成して下さった。悪魔に力ずくで立ち向かうことは出来ない。しかし、悪魔の試みに対して重要なのは、イエスが祈って下さったように、「信仰」である。だから、ペテロは、「堅く信仰に立って」と強く勧めている。
 ぺテロの手紙第一5章10節では、この手紙をしめくくるにあたり、単に戒めて勧告したのではなく、弱さや失敗の中で、今は恵みとあわれみによって生かされていること、そして希望を語って手紙を締めくくっている。
私たちも失敗の中から学びつつ、主にあって恵みの内にあることを感謝しつつ歩ませて頂きたい。

主題 <苦しみのときに、主の御霊が> 

聖書箇所 ペテロの手紙第一 4章 (2012年 1月 9日)

今日のみことば「むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(13~14)

 4章前半では、苦しみときよい生活について語っていきます。苦しみときよい生活に一見どこに接点があるかと思わされるが、「肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。」(1)と言われているように、肉体において苦しみを受けている時に、私たちは、罪を犯すことから守られていることがあるのである。それは、人間は苦しみに中にあって神を求めていくようになり、神のみこころを求めていく者に変えられていくことがある。その模範を旧約聖書のヨブの姿に見ることができ、またイエスのゲッセマネの園での祈りの姿に見ることができる。苦しみは神から遠ざけること以上に神に近づけていくことに働くのを見るのである。
 7~11節に万物の終りが近いことを自覚しながら勧めをなしている。苦難の中にも積極的な生き方が勧められている。最終的にはキリストにあって神があがめる者となることを期待されている。
 ぺテロの手紙が書かれた頃、ローマ帝国の皇帝はネロ皇帝であった。ネロ皇帝は宮廷の庭で毎日、ただキリストを信じ告白するクリスチャンたちを焼き殺していたと言われている。
 4章後半では、「あなたがたの間で燃えさかる火の試練」(12)とあり、当時のキリスト者がどんなにいのちに関わる危険の中にあり、迫害下にあったかを連想させられる。 しかしながら、ぺテロはそのような状況にあっても、この事態を積極的に受け止めていくように勧めている(13)。
なぜなら「キリストの名のために避難を受けるなら・・・神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(14)と述べ、それは単なる空元気でも気休めでもなく、ぺテロの大きな確信があったからでした。
 かつて、ステパノも迫害の中に聖霊に満たされていた(使徒7:55)。苦難の中に、神の御霊、主と共にある恵みを改めて確認したい。

主題 <キリストにならって>

聖書箇所 ペテロの手紙第一 2章 (2012年 1月 7日)

今日のみことば「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(21)

 使徒ぺテロは、ぺテロの手紙第一1章後半から神のみことばは変わることなく、私たちを導き、キリストの姿、み教えにより変えられていくことのすばらしさを語り、2章においても、その神のみことばによって成長させられていくようにと勧めている(2)。
 また、2章3~4節「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい。…」と書き送っている。
試練の中にある当時のキリスト者たちに向けて語られたことを覚え、今日も
もどのような境遇にあっても、キリストにこそ真の愛、慰めがあることを覚え、キリストのもとに立つために、主のみことばに聞き、主を求めて行く者でありたいと思います。
 キリストのうちにある者たち、キリストを土台として歩む者たちについて、 「神の所有とされた民」と言われおり、神のものとされた人々により、さらにこの驚くべき神の愛、御業をあかしされていくためにも用いてくださるという恵みに感謝しつつ歩ませて頂きたい。
 11節~3章12節は、この手紙の中で中心的な内容が語らえている箇所である。使徒ぺテロはこの箇所で、どのように人間関係を築きあげていくべきかを教え、大きくは3つのことに触れている。一つは神を畏れるということ、二つ目に現実の生活において訓練される事、最後に他者に仕えることである。
 使徒ぺテロは、2章後半において、反対者たちに苦しめられていたとしても、善をもって行なうことを強く勧めている。時として私たちは反対者に対して、非難すべき言葉をもって対峙してしまうことはないだろうか。相手の非難の言葉を黙らせるのを考えるのではなく、むしろ良き業をもって仕える姿勢がいつしか反対者の心さえ変えられてくることになることを覚え、善をもって証していくことが重要である。(15)
 その模範となられたのは主イエス・キリストである。キリストこそがまずそのように地上において歩まれたということを覚えたい。改めて、私たちはキリストの歩まれた歩みを模範として歩ませて頂きたい。

主題 <変わることのない神のみことばによって生きる>

聖書箇所 ペテロの手紙第一 1章 (2012年 1月 6日)

今日のみことば「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(23)

 使徒ヘテロは12使徒の中でもその人となりを聖書から伺い知ることができる一人である。主イエスの弟子として歩む中に、誰よりも主に従うことを表明しながら、しかし、主イエスが捕らえられ裁判の場にあった時には、三度も主を知らないと否定してしまう弱さを持っていた人であることが聖書に記されている。
 そのようなヘテロが再び、主に召されて、「わたしの羊を飼いなさい」との命令を受けるということは実にあわれみでしかないことを思わされる。ヘテロは教会を牧する使命が与えられるが、その時、主の教会はローマ帝国からの迫害にさらされるのである。再び、主を信じるという告白が命に関わる時代となるが、この時のぺテロは、否定するのでも、逃げるのでもなく、当時の教会を慰め、励まし続けていくのである。そのことがヘテロの手紙には表れている。
 今日の私たちにも、人間の弱さを知るペテロは、神の御力による守り(5)があることを知らせてくれている。
使徒ぺテロは、信仰者として歩むときに、しばしば試練の中に立たせられることを語ったが、その試練を通される中で、後に与えられる神の祝福、栄光のすばらしさについて語ってきた。
 以上のことに続いて、1章の後半では、身を慎み、従順に歩むように勧めている(13~15)。使徒ぺテロは神に従う歩みについて教えていくが、そこには、かつての律法学者、パリサイ人のような多くの命令、禁止事項を守るというような生き方ではなく、神は私たちの生活全体が神にもっと似るように造り変えて下さるのであって、私たちはその主に従うことを願っておられる。それ故、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」(16)とある聖なる者とされるということは、主のあがないに始まり、主のみことばによって変えられていく歩みであるということを改めて覚えていきたい。
 神のみことばは今日に変わることなく、私たちを主に似る者とならせて頂くために与えられていることを感謝したい。 

主題 <忍耐ととりなしの祈り>

聖書箇所 ヤコブの手紙 5章   (2012年 1月 5日)

今日のみことば「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」 (13)

 世界には、数え切れない苦難、差別、迫害があります。貧しい人々が富める人々によって搾取され、しかも弱者は抵抗しないのです。抵抗できないのです。それをよいことに、ますます増長してきます。このような時に正しく行動したいのです。
その秘訣は、忍耐です。この忍耐のすばらしさと結末を7-11節から列挙してみましょう。
1                                       

2                                       

3                                       
13―20節は、あなたがたのうちに苦しみ、喜び、病気の人への祈りのすすめであり、最大の困難である罪を犯した人への祈りです。
 いつの時代も、祈りの必要があります。今日のあなたの祈りを書いて、そこに集中して祈りましょう。そしていつも今日の箇所を忘れないために、聖句を暗唱してください。どの箇所でもかまいません。心にとどめたい聖句を書き出して下さい。

主題 <へりくだる者に恵みをお授けになる>

聖書箇所 ヤコブ手紙 4章    (2012年 1月 4日)

今日のみことば「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(6)

人間性の最大の問題は、争いであり、戦いです。からだの中で戦うとあるように、自分の心の中で、内的な欲望や自己中心の罪の問題です。この罪の心の中核に存在していることが高慢です。すなわち神に従おうとせずに神に敵対する心が占めてしまいがちです。人と比較して少しばかりの優れた点を誇るのです。
 ところが、ほんとうの世界、神の支配されている世界は、反対の方向に向かうのです。
第一に、心の中に聖霊を住まわせていることを再確認しよう(5節)。
第二に、神はさらに豊かな大きな祝福、恵みを与えたいと望まれていること(6節)
第三に、へりくだり、神の主権を認めよう。
なんと神は、低くなる者を高く引き上げて下さるというのです。神の世界では、人間の世界の考え方は通用しません。こここそ、本物の人生、長い間求めてきた理想とする世界が存在しているのです。だからこそ、神を求めるときに、長い間の解決できなかった問題が突き抜けることとなります。
 これまでの人生を振り返り、自己中心を悲しみ、泣くのです(9節)。これまでの笑いや無意味な喜びを取り替えるのです。取り替えられた信仰者は、神を相手に生きるのでほんとうに強いのです。
 暗唱する聖句を書き出して下さい。

主題 <良い生き方によって示しなさい>

聖書箇所 ヤコブ手紙 3章    (2012年 1月 3日)

今日のみことば「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。」(13)

 すばらしい信仰者の生き方を言葉の使い方で現わしてゆこうというのです。
舌がどのような働きをするか記そう。
1)
2)
3)
では、どのようにしてこの舌の問題からすばらしい人格を備えた信仰者になれるのだろうか。13節~18節までに秘訣が記されています。
1)クリスチャンの知恵を求めるのです。1;5には、神に願えとあります。
2)上からの知恵を求める
3)平和をつくる信仰者になることをめざすのです。
 同じ口で、兄弟を呪い、神を賛美する、という二つの問題は絶えずこの生き方で克服されるのです。信仰を持つことにより栄光に満ちた生涯、高尚な人になれるのですから、たしかな希望を持って忠実に日々進もう。
今日、一つのことを願おう。

主題 <人をえこひいきしてはいけません> 

聖書箇所 ヤコブの手紙 2章   (2012年 1月 2日)

今日のみことば「私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。」(1)

 ヤコブは、あなたを三つの素晴らしい立場を持つと確信しています。
1 私の兄弟 2;1、5、14  3;1、12
2 信仰を持っている
3 信仰を持っているので、聖なる生活が出来る。

差別したり、えこひいきすることは日常どこででも起こっていますが、あなたは何が大きな問題だと思いますか。                    

                                        

小さな一つの人を差別する生き方は、ほかの律法全体を守っていると思っても意味がないというのです。

14節でも「私の兄弟たち」と呼びかけ、信仰を持っている者らしい行動をしなさい、と教えている。

ヤコブの手紙は、パウロのローマ人への手紙の信仰によって義とされる教理と相反することを教えているかに見えますが、それは表面的な見方です。神の前に、人の前に光の中を歩むために、次の点を心に留める必要があります。
1 

2 

2011年12月24日 (土)

主題 

聖書箇所 ヤコブの手紙 1章 (2012年 1月 1日)

今日のみことば「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(2)

これからヤコブの手紙を深く身に着けるために、聖書とペンを用意して下さい。
この章では、試練(2)と誘惑(13)を記しています。この全く相反する内容を語る語は同じギリシャ語です。私たちは苦しいことを避けたいと思いがちですが、実は困難が完全な人を形造ると記しています(4)。
2節には、困難をどう思えと記していますか。                  

                                        

喜びと思えるために、三つの重要な鍵を記しています。
3節                  
4節                  
5節                  
6-8節に見れば、神を信じることが動かない力と祝福の源泉であることがわかります。神は、17節にあるとおり移り変わらない光の父です。
そこで、19節以降の生き方が出来るのです。ここで何が素晴らしい生き方でしょうか。書いてみて下さい。            

主題 <愛をもって主に仕える>

聖書箇所 へブル人への手紙 13章(2011年12月31日)

今日のみことば「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(15)

 ヘブル人への手紙の最後の章は具体的な勧めに満ちています。本章は、内容的に分割するのはむずかしいが、いくつかの具体的なテーマを見出すことはできる。
 第一は愛である。1節「兄弟愛をいつも持っていなさい。」との勧めをどのように聞くだろうか。愛している人や、親しい人たちのために祈ることはやさしいが、腹の立つ人や、自分を傷つけた人たちのためには、どのくらい祈っているだろうか。このことは、兄弟姉妹から不愉快な思いをさせられたり、心を傷つけられたりしたときも、含んでいるととらえて良いでしょう。「いつも」と言われていることに、私たち自身も応答するものでありたいと思います。
また、私たちは、教会の指導者たちを覚えることは重要である(7)。また、当然、結婚の相手を愛するべきであり、寝床を汚してはならない(4)。しかし、この兄弟愛は、所属する教会の会員や、夫婦に関してだけではないことも示している。それは、私たちは、牢につながれている人々や、苦しめられている人々をも覚えるのである(3)。また、旅人さえも親切にもてなす(2)ことに至るまで、さまざまな人々に対して愛をもって仕え、応えていくことが勧められている。今年は大きな災害に遭い、本当に困難な人が今も多くおられることを覚えなくてはならない。そして、キリスト者が示していく愛の行為はこの世の光、あかしとなることを覚えたい。
 別な視点で愛することに注意が示されている。それは、金銭を愛することである(5)。しばしば、金銭が万能のように思う。しかし、本当に必要を与え助けてくれるのは主である。そして、私たちを助けてくださるキリストは、永遠に変わることがない(8)。いつもこのキリストを通して、神に賛美のいけにえをささげる者でありたいと思います。(15)。
 最後に20節以降に、頌栄をもって結ばれている。御子キリストに栄光をお返ししていく歩みをささげて行く者でありたいと思います。