« 2012年9月 | メイン | 2013年7月 »

2013年1月

2013年1月16日 (水)

主題 <主は生きておられる>

聖書箇所 列王記第一  1章   (2012年12月10日)

今日のみことば「王は誓って言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。」(29)

 ダビデの最後の後継選びの諸課題を見る。そこには、ハギテの子アドニヤのように場違いのように「私が王になろう。」と言って、戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れたのです(5)。彼はダビデの第四の王子であり、上の三人が死亡しており、自分が王位を継ぐことを想定していたと思えます。しかも、国家への愛や誠実さよりも野心を抱いているのです。
 私たちはいろいろな現実の状況を見つめるときに、人間不信に陥ることがしばしばである。野心や自己中心、虚栄などさまざまだからです。
そうした経験の中からダビデは、「主は生きておられる」という不動の確信をつかんでいたのです。人間は問題に囲まれてたくさんの失敗をするものです。しかし本当の失敗は失敗から何も学ばないことです。失敗から見いだす優れた神の真理、神の存在、神の知恵がある。『イスラエルの神、主は生きておられる。』人の思惑に支配されることなく、堂々とした人生を歩んでいい。神はおられ、あらゆる苦難から救い出してくださるゆえに。

<祈り>父よ。人間不信に陥りそうな私を、信仰の目を上げてあなたを見、あなたの存在を信頼して歩む、より優れた信仰者にしてください。

主題 <犯してしまった罪に対して>

聖書箇所 サムエル記第二 24章 (2012年12月 9日)

今日のみことば「ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」」 (10)  
 ダビデは人口調査を思い立った。主がそうさせたように書かれているが、実はそうではなく、ここにはダビデの罪が潜んでいたのである。それ故に、ダビデは後に、罪を告白して赦しを求めている(10)。
 人口調査は、兵力の把握のためであった。イスラエルの安全と繁栄は、ただ主によるのであったが、この人口調査には、国力増強という人間的な目論見ががあり、それは主に対する不信と高ぶりが潜んでいた。調査の結果、イスラエルの兵力は八十万人、ユダは五十万人とわかった(8、9)。
 この人口調査という一見なんともないと思われる行為が王の犯した不信の罪のために、わざわいが科せられることとなった。三つの選択肢のうち、ダビデは三日間の疫病を選んだ。主のあわれみに望みを置いたのである(14)。全土で七万人が疫病によって死んだ。都を滅ぼそうとする御使いを見て、ダビデが、わざわいは王と王家の上だけにと、とりなし祈った時、主は、エブス人アラウナの打ち場のところで御使いが民を打つのをやめさせた(16、17)。
 ダビデは、主に従って、アラウナの打ち場を買い取り、そこに祭壇を築いて、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主はこの国の祈りに心を動かされ、神罰はやんだ(25)。この打ち場は、やがて神殿の立つ場所となる(I歴代22:1)。ダビデはアブラハムの子孫として、主の約束を信じる代わりに、民を数えるという不信の罪を犯した。その罪を蹟うための祭壇が、そこに築かれ、やがては神殿が建てられた。主は人の不信の罪さえもお用いになって、ご計画を成し遂げられた。

主題 <神と共にある家> 

聖書箇所 サムエル記第二 23章 (2012年12月 8日)

今日のみことば「まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。 」(5)

 21章を起点に、イスラエルへの神罰(飢饉)、ダビデの家来の武勇伝(四勇士)、ダビデの詩の順で書き進められてきた文章がここで逆転し、ダビデの詩、ダビデの家来の武勇伝(三勇士)、イスラエルへの神罰(疫病) へと進み、二四章で完結するという、整った構造を持っている。
 「ダビデの最後のことば」が記されている(1)。この詩には王に任じられ、しかも神と永遠の契約を結ぶ王家として立てられていることの誉れが、歌われている。
次に、彼の家来たちの武勇伝が記されている。特にヤショブアム、エルアザル、シヤマの三人のそれぞれの勇者ぶりと、三人について語られてきた感動的な物語が記されている。ダビデがサウルから身を避けてアドラムのほら穴で生活していた頃、ペリシテ人の勢力が強く、イスラエルの地のかなり奥の方にまで侵入して来ていた。ダビデが、「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ」と口にするのを聞いた三勇士は、敵の陣営を突き抜けて、井戸から水を汲み、それを携えて彼のところに持って来た(16)。彼は、その水は三勇士の血にも等しいと言って、それを飲まずに主にささげた(17)。
ダビデが賛美したように神と共にある歩みの幸い、主に栄光を帰した歩みにならって私たちも主を賛美しつつ歩んでいきましょう。

主題 <主に身を避ける者>

聖書箇所 サムエル記第二 22章 (2012年12月 7日)

今日のみことば「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。」(31)  

 きょうの箇所は、詩篇18篇とほとんど同じものである。一節に「主が、ダビデのすべての敵の手、……から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った」とあるように、彼の神は文字通り、救い主なる神であられた。彼は数々の救いの経験を思い起こし、心に喜びと感動が高まるのを覚えながら、この歌を主に向かって唱えたのであろう。彼は主に対する賛美から始め、主がどのようなお方であるかを、種々のことばを重ねて、言い表している。巌、とりで、救い主、身を避ける岩、盾、救いの角、やぐら、再び救い主、逃げ場(2、3)。安全な場所を探して荒野の要害を転々とした彼ならではの表現法で、主の力強さを表している。一つ一つの表現に、彼が実際に体験した出来事の記憶が伴っているのであろう。彼はそれらを締めくくって「この主を呼び求めると、私は、敵から救われる」と、信仰を力強く告白している。まさに主は「はめたたえられる方」なのである(4)。
ダビデは勇将として名を知られたが、それは彼が主に拠り頼んだからだということが、この詩の後半を通してわかる。ダビデは、「あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます」と、勝利の秘訣を告白している(30)。主に信頼して戦いに臨む彼の姿が、詩的な表現で生き生きと描き出されている。彼が臨む戦場は、彼の信仰の実践の場に、ほかならなかった。彼は再び主を盾とし、岩とし、とりでとして表現している。彼にとって、主は戦場における何にも優る拠り所である(31-33)。
拠り頼むべきお方を覚え、心から賛美し主にあって歩む一日としましょう。

主題 <約束を破る代償> 

聖書箇所 サムエル記第二 21章 (2012年12月 6日)

今日のみことば「ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」」(21)

ダビデは飢饉が三年も続いたことの理由を主に求めたところ、サウルがギブオンの人たちを虐殺したことが原因だということがわかった。四百年も前に、ヨシュアに率いられたイスラエル人が、カナンに攻め込み、主に約束された相続地を戦い取っていた頃、遠い国から来たという。一団の人たちに、自分たちと盟約を結んでほしいと求められ、ヨシュアたちは彼らのことばを信用し、彼らを滅ぼさないと、神の御前に盟約を結んでしまった。その直後に、実は彼らはギブオンに住んでいるということがわかったのであるが、ヨシュアは誓いを変えず、彼らを滅ぼすことをしなかった(ヨシュア9:15)。その誓いがサウルによって破られ、彼らを虐殺したのである。王はこの地に対するギブオン人たちののろいを取り除くために、彼らの要求に従って、サウルの子孫七人を彼らに引き渡すことにした。苦渋に満ちた選択の結果、選ばれた七人は山上で殺され、さらされた。さらされた者の母で、サウルのそばめだったリツパは、死体に寄り付く鳥獣を昼夜分かたず追い続けた(10)。それを聞いた王は、サウルとヨナタンの骨をヤベシュ・ギルアデから取って来て、七人の骨と共に丁重に埋葬した。「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」(14)
 主の前に約束を果たすことをおろそかにしていないか考えよう。

主題 <知恵ある女によって>

聖書箇所 サムエル記第二 20章 (2012年12月 5日)

今日のみことば「私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとりです。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、主のゆずりの地を、のみ尽くそうとされるのですか。」」(19)
イスラエル(北)とユダ(南)の、王の取り合いは、内戦の危機をはらむ事態へと発展した。イスラエルの人々はダビデから離れてシェバに従い、ユダの人々はダビデに従った(2)。ダビデは新将軍アマサに、戦いに備えて三日間でユダを召集するように命じたが、期限に間に合わなかった。そこでアビシャイに命じて、直ちにシェバを追跡させた。途中、アマサが突然彼らの前に姿を現した。ヨアブはアマサに挨拶するようなふりをして近づくと、剣でアマサの下腹を刺して殺してしまった(10)。ヨアブはかつての自分の立場を占めているアマサに恨みを抱いていたのであろう。アマサが倒れているのを見て、民は当惑し、歩みを止めたが、やがてヨアブの後につき従って、ビクリの子シェバの追跡を再開した。
シェバはイスラエルの全部族を経由しながら(恐らく戦いに備えての打ち合わせをしながら)、国の最北端にあるアベル・ベテ・マアカに入った。ヨアブたちは町を包囲し、塁を築いて城壁を破壊しようとした(14、15)。そのとき、町から一人の「知恵のある女」が叫んで、ヨアブとの交渉を求めてきた。彼女は、「イスラエルの母である町」をなぜ滅ぼそうとするのかと問い、ヨアブが、自分たちの求めているのはシェバという一人の男だけだと答えると、女は、シェバの首を取って来て城壁の上から投げ落とした。内戦の危機は解消し、王の統治が安定し、統治のための組織もさらに整えられていった(23-26)。
知恵ある女のように何ができるかということを考えよう。

主題 <顧みる人はいないか> 

聖書箇所 サムエル記第二 19章 (2012年12月 4日)

今日のみことば「それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。」(7)
 息子を失った悲しみの中に閉じこもるダビデの姿は、民をひどく戸惑わせた(1、3)。ヨアブは「王のために忠誠を尽くし、勇敢に戦い、勝利をもたらした民の功労を顧みることもなく、ただわが子の死を嘆くのであれば、結局のところ、王にとって大事なのは自分の家族だけだということを明らかにしているようなものだ。今すぐ、民を顧みなければ、民はみな王から離れ去って行くであろう」と進言した。ダビデはそれを受けて再び立ち上がった。
 ダビデはアブシャロム側についた民を迎えるように命令し和解の手を差し伸べた(11~12)。また、ヨアブに代わって、敵の将軍だったアマサを軍団長とすることを決め、王の命令を無視して息子を殺したヨアブの不遜に報いた(13)。逃げる途中で、王にのろいのことばを浴びせ、一行に向かって石を投げたベニヤミン人シムイが、ひたすら赦しを乞うた。ダビデをのろったシムイを死に定めようとするアビシャイに、王は、これは自分の問題で彼には関わりがないこと、凱旋の日に人を殺すべきでないことを告げて、シムイを寛大に処遇した。メフィボシェテが不自由な体を押してダビデを迎えてきたの見て、かつてツィバにすべての土地を与えるとしていたのを二人で折半するように変更した(29)。マハナイムでダビデに仕えたバルジライにはその功績をたたえ都に同行するように求めたが高齢を理由に断り、代わってキムハムを同行させてくださるように願った(34~37)。ダビデはそれぞれの人々に正しく報いようと行動したのだった。
 今日、私たちも顧みるべき人がいないか考えましょう。

主題 <和解すべきだったのに>

聖書箇所 サムエル記第二 18章 (2012年12月 3日)

今日のみことば「すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」」(33)
  ダビデは息子アブシャロムと戦うこととなった。ダビデはこの戦いに積極的になれないのは、父と子が争うということに困惑し、戦う相手が同じイスラエルの民であるゆえに、なるべく被害を最小限度にしたい思いがダビデにあったが(5)、その戦いの結果はイスラエルの民が多く死に、息子アブシャロムは頭が樫の木に引っ掛かり宙吊りになったところをヨアブによって死ぬという悲惨なものであった。
 老練なヨアブは、この勝利の知らせが、王を喜ばせないことをよく知っていた。それで彼は、王のためにと一途に思う若者アヒマアツを伝令に走らせたくなかったのである。代わりにクシュ人(エチオピア人)が送り出されたのであるが、アヒマアツの方が、先にダビデのもとに行き着いてしまった(23)。
 アヒマアツが喜びいっぱいで報告した勝利の知らせに、王は期待したような反応を示さず、「若者アブシャロムは無事か」と聞いた。ヨアブの忠告の意味をとっさに悟ったアヒマアツは、その件について自分は何も確かなことを知らないと告げた。遅れて着いたクシュ人から、控えめな表現ながらアブシャロムの死が伝えられると、「王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた」。彼は息子の名を呼び続け、自分が彼に代わって死ねばよかったとまで言って死を惜しみ、王としての立場を忘れて悲しみの中に閉じこもってしまった(33)。
 もっとも身近な親子の関係に和解がもたらされていたなら、民を巻き込んでこれほどの大きな痛みにはならなかったであろう。今日、私たちも和解すべき人がいるならば速やかに和解することができるように祈ろう。

主題 <主が決めておられたゆえに>

聖書箇所 サムエル記第二 17章 (2012年12月 2日)

今日のみことば「アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。」 (14)  

 アヒトフェルによってダビデの追撃が始まった。アヒトフェルの作戦は、まだ遠くまで行かないうちに追跡し、急襲して王を討ち取れば、民はアブシャロムにつくようになるというのである。 
 ところがアブシヤロムは、何を思ったか、もう一人の参謀フシャイの意見を求めた。フシャイはまず、アヒトフェルの作戦の問題点を指摘し、危惧される事態を挙げて、聞き手に不安を起こさせ、その上でことば巧みに自説を展開した。彼は、ダビデとその家来たちの勇猛さと戦略家としての巧妙さを強調し、もし民の中に戦死者が出るようなことになれば、士気が一気に低下して、たちまち戦意を失うことになる。むしろ全イスラエルに召集をかけ、アブシャロム自身が大軍を率いて戦いに臨み、ダビデたちを数で圧倒して、残らず滅ぼすのが得策だと主張した(7-13)。フシャイはダビデたちが安全な場所まで逃げのび、戦いに備えるゆとりが与えられるように、少しでも多く時間を稼ぐことを意図していたのであるが、アブシャロムと民が採用したのは、何とフシャイの作戦の方であった。「主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。」(14)以前、アヒトフェルがアブシャロムの謀反に加担しているという知らせを受けたダビデが、とっさに祈った、「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)という祈りを主は確かにお聞きくださり、お応えくださった瞬間だった。

主題 <主にゆだねて生きる> 

聖書箇所 サムエル記第二 16章 (2012年12月 1日)

今日のみことば「ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。」(11)

 ダビデたち一行にツィバがもたらした糧食は、どれほどありかたいものであったろうか(1、2)。ツィバはメフィボシェテの裏切りのことばをダビデに伝えた(3)。ダビデはツィバのことばの真偽を詮索することなく、即座にメフィボシェテに与えた土地をツィバのものとすると告げた(4)。
 サウルの家のシムイの仕打ちは、どれほどダビデたちを打ちのめしたことであろう。彼はダビデをのろい、石を投げつけながらしつこくついて来た。かつて油注がれた王であるサウルに手を下してはならないとダビデに制せられたアビシャイは、王にのろいのことばをぶつけてくるシムイは当然罰せられるべきだと考えたが、ダビデは「彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから」と言って、はやるアビシヤイを制した。ダビデは、今は主の御前にへりくだる時だと考えたのであろう。主の力強い御手の下にへりくだる者を、主はちょうど良いときに高くしてくださるという信仰を、彼は控えめながら言い表している。
 フシャイはダビデの指示に忠実に従い、エルサレムに到着したアブシャロムを「ばんざい」の連呼で迎えた。アブシャロムからその無節操ぶりを指摘されると、アブシャロムに仕える意志を大胆に表明し、彼の信頼を得た(16-19)。ダビデのそばめのところに公然と入るようにとのアヒトフェルの助言は直ちに実行に移され、ナタンの預言のとおりになった(21、22)。