主題 <主のみこころを求めて>
聖書箇所 サムエル記第一 24章 (2012年11月 8日)
今日のみことば「どうか、主が、私とあなたの間をさばき、主が私の仇を、あなたに報いられますように。私はあなたを手にかけることはしません。」(12)
あと少しというところでダビデを取り逃がしたサウルは、彼がエン・ゲディの荒野にいると知らされると、三千人の精鋭を率いて、再びダビデを捜しに出て来た。たまたま、彼が用を足そうと道ばたのほら穴に入ったところ、その奥にダビデとその部下が潜んでいた。ダビデの部下が言うように、それはまさに、主がダビデに与えたチャンスのように思われた。しかし、ダビデはサウルに手を下すことをしなかった。ただ置かれていた上着のすそを切り取っただけであった。サウルが「主に油を注がれた方」であって、彼に「手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ」とダビデは考えたからであった(6)。 ダビデは切り取った上着のすそをサウルに示しながら、自分の手中にあったサウルを殺さなかったことは、サウルに対する悪意や背きの意志が全くないことの証拠だとし、自分のいのちをつけねらって追い回すサウルの不当な仕打ちを、主が正しくおさばきくださるようにと訴えた(11、15)。
サウルはダビデの公正な態度に心を動かされ、彼の正しさと自分の不正を率直に認め、主が彼を必ず王とし、彼の手によってイスラエル王国が確立することを確認した。ダビデはサウルの求めに応じて、サウルの家を滅ぼさないと誓った。
この一連の出来事は見た目には、ダビデの部下が言ったようにダビデがサウルに反撃するチャンスが神のときと考えやすい。自分の都合に合わせて、「みこころ」を判断してはならないことを教えてくれる出来事だった。本当のみこころを求めて行くとき、真実を尽くし、ゆだねていくことも一つの導きであることを覚えたい。