2013年1月16日 (水)

主題 <神と共にある家> 

聖書箇所 サムエル記第二 23章 (2012年12月 8日)

今日のみことば「まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。 」(5)

 21章を起点に、イスラエルへの神罰(飢饉)、ダビデの家来の武勇伝(四勇士)、ダビデの詩の順で書き進められてきた文章がここで逆転し、ダビデの詩、ダビデの家来の武勇伝(三勇士)、イスラエルへの神罰(疫病) へと進み、二四章で完結するという、整った構造を持っている。
 「ダビデの最後のことば」が記されている(1)。この詩には王に任じられ、しかも神と永遠の契約を結ぶ王家として立てられていることの誉れが、歌われている。
次に、彼の家来たちの武勇伝が記されている。特にヤショブアム、エルアザル、シヤマの三人のそれぞれの勇者ぶりと、三人について語られてきた感動的な物語が記されている。ダビデがサウルから身を避けてアドラムのほら穴で生活していた頃、ペリシテ人の勢力が強く、イスラエルの地のかなり奥の方にまで侵入して来ていた。ダビデが、「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ」と口にするのを聞いた三勇士は、敵の陣営を突き抜けて、井戸から水を汲み、それを携えて彼のところに持って来た(16)。彼は、その水は三勇士の血にも等しいと言って、それを飲まずに主にささげた(17)。
ダビデが賛美したように神と共にある歩みの幸い、主に栄光を帰した歩みにならって私たちも主を賛美しつつ歩んでいきましょう。

主題 <主に身を避ける者>

聖書箇所 サムエル記第二 22章 (2012年12月 7日)

今日のみことば「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。」(31)  

 きょうの箇所は、詩篇18篇とほとんど同じものである。一節に「主が、ダビデのすべての敵の手、……から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った」とあるように、彼の神は文字通り、救い主なる神であられた。彼は数々の救いの経験を思い起こし、心に喜びと感動が高まるのを覚えながら、この歌を主に向かって唱えたのであろう。彼は主に対する賛美から始め、主がどのようなお方であるかを、種々のことばを重ねて、言い表している。巌、とりで、救い主、身を避ける岩、盾、救いの角、やぐら、再び救い主、逃げ場(2、3)。安全な場所を探して荒野の要害を転々とした彼ならではの表現法で、主の力強さを表している。一つ一つの表現に、彼が実際に体験した出来事の記憶が伴っているのであろう。彼はそれらを締めくくって「この主を呼び求めると、私は、敵から救われる」と、信仰を力強く告白している。まさに主は「はめたたえられる方」なのである(4)。
ダビデは勇将として名を知られたが、それは彼が主に拠り頼んだからだということが、この詩の後半を通してわかる。ダビデは、「あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます」と、勝利の秘訣を告白している(30)。主に信頼して戦いに臨む彼の姿が、詩的な表現で生き生きと描き出されている。彼が臨む戦場は、彼の信仰の実践の場に、ほかならなかった。彼は再び主を盾とし、岩とし、とりでとして表現している。彼にとって、主は戦場における何にも優る拠り所である(31-33)。
拠り頼むべきお方を覚え、心から賛美し主にあって歩む一日としましょう。

主題 <約束を破る代償> 

聖書箇所 サムエル記第二 21章 (2012年12月 6日)

今日のみことば「ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」」(21)

ダビデは飢饉が三年も続いたことの理由を主に求めたところ、サウルがギブオンの人たちを虐殺したことが原因だということがわかった。四百年も前に、ヨシュアに率いられたイスラエル人が、カナンに攻め込み、主に約束された相続地を戦い取っていた頃、遠い国から来たという。一団の人たちに、自分たちと盟約を結んでほしいと求められ、ヨシュアたちは彼らのことばを信用し、彼らを滅ぼさないと、神の御前に盟約を結んでしまった。その直後に、実は彼らはギブオンに住んでいるということがわかったのであるが、ヨシュアは誓いを変えず、彼らを滅ぼすことをしなかった(ヨシュア9:15)。その誓いがサウルによって破られ、彼らを虐殺したのである。王はこの地に対するギブオン人たちののろいを取り除くために、彼らの要求に従って、サウルの子孫七人を彼らに引き渡すことにした。苦渋に満ちた選択の結果、選ばれた七人は山上で殺され、さらされた。さらされた者の母で、サウルのそばめだったリツパは、死体に寄り付く鳥獣を昼夜分かたず追い続けた(10)。それを聞いた王は、サウルとヨナタンの骨をヤベシュ・ギルアデから取って来て、七人の骨と共に丁重に埋葬した。「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」(14)
 主の前に約束を果たすことをおろそかにしていないか考えよう。

主題 <知恵ある女によって>

聖書箇所 サムエル記第二 20章 (2012年12月 5日)

今日のみことば「私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとりです。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、主のゆずりの地を、のみ尽くそうとされるのですか。」」(19)
イスラエル(北)とユダ(南)の、王の取り合いは、内戦の危機をはらむ事態へと発展した。イスラエルの人々はダビデから離れてシェバに従い、ユダの人々はダビデに従った(2)。ダビデは新将軍アマサに、戦いに備えて三日間でユダを召集するように命じたが、期限に間に合わなかった。そこでアビシャイに命じて、直ちにシェバを追跡させた。途中、アマサが突然彼らの前に姿を現した。ヨアブはアマサに挨拶するようなふりをして近づくと、剣でアマサの下腹を刺して殺してしまった(10)。ヨアブはかつての自分の立場を占めているアマサに恨みを抱いていたのであろう。アマサが倒れているのを見て、民は当惑し、歩みを止めたが、やがてヨアブの後につき従って、ビクリの子シェバの追跡を再開した。
シェバはイスラエルの全部族を経由しながら(恐らく戦いに備えての打ち合わせをしながら)、国の最北端にあるアベル・ベテ・マアカに入った。ヨアブたちは町を包囲し、塁を築いて城壁を破壊しようとした(14、15)。そのとき、町から一人の「知恵のある女」が叫んで、ヨアブとの交渉を求めてきた。彼女は、「イスラエルの母である町」をなぜ滅ぼそうとするのかと問い、ヨアブが、自分たちの求めているのはシェバという一人の男だけだと答えると、女は、シェバの首を取って来て城壁の上から投げ落とした。内戦の危機は解消し、王の統治が安定し、統治のための組織もさらに整えられていった(23-26)。
知恵ある女のように何ができるかということを考えよう。

主題 <顧みる人はいないか> 

聖書箇所 サムエル記第二 19章 (2012年12月 4日)

今日のみことば「それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。」(7)
 息子を失った悲しみの中に閉じこもるダビデの姿は、民をひどく戸惑わせた(1、3)。ヨアブは「王のために忠誠を尽くし、勇敢に戦い、勝利をもたらした民の功労を顧みることもなく、ただわが子の死を嘆くのであれば、結局のところ、王にとって大事なのは自分の家族だけだということを明らかにしているようなものだ。今すぐ、民を顧みなければ、民はみな王から離れ去って行くであろう」と進言した。ダビデはそれを受けて再び立ち上がった。
 ダビデはアブシャロム側についた民を迎えるように命令し和解の手を差し伸べた(11~12)。また、ヨアブに代わって、敵の将軍だったアマサを軍団長とすることを決め、王の命令を無視して息子を殺したヨアブの不遜に報いた(13)。逃げる途中で、王にのろいのことばを浴びせ、一行に向かって石を投げたベニヤミン人シムイが、ひたすら赦しを乞うた。ダビデをのろったシムイを死に定めようとするアビシャイに、王は、これは自分の問題で彼には関わりがないこと、凱旋の日に人を殺すべきでないことを告げて、シムイを寛大に処遇した。メフィボシェテが不自由な体を押してダビデを迎えてきたの見て、かつてツィバにすべての土地を与えるとしていたのを二人で折半するように変更した(29)。マハナイムでダビデに仕えたバルジライにはその功績をたたえ都に同行するように求めたが高齢を理由に断り、代わってキムハムを同行させてくださるように願った(34~37)。ダビデはそれぞれの人々に正しく報いようと行動したのだった。
 今日、私たちも顧みるべき人がいないか考えましょう。

主題 <和解すべきだったのに>

聖書箇所 サムエル記第二 18章 (2012年12月 3日)

今日のみことば「すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」」(33)
  ダビデは息子アブシャロムと戦うこととなった。ダビデはこの戦いに積極的になれないのは、父と子が争うということに困惑し、戦う相手が同じイスラエルの民であるゆえに、なるべく被害を最小限度にしたい思いがダビデにあったが(5)、その戦いの結果はイスラエルの民が多く死に、息子アブシャロムは頭が樫の木に引っ掛かり宙吊りになったところをヨアブによって死ぬという悲惨なものであった。
 老練なヨアブは、この勝利の知らせが、王を喜ばせないことをよく知っていた。それで彼は、王のためにと一途に思う若者アヒマアツを伝令に走らせたくなかったのである。代わりにクシュ人(エチオピア人)が送り出されたのであるが、アヒマアツの方が、先にダビデのもとに行き着いてしまった(23)。
 アヒマアツが喜びいっぱいで報告した勝利の知らせに、王は期待したような反応を示さず、「若者アブシャロムは無事か」と聞いた。ヨアブの忠告の意味をとっさに悟ったアヒマアツは、その件について自分は何も確かなことを知らないと告げた。遅れて着いたクシュ人から、控えめな表現ながらアブシャロムの死が伝えられると、「王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた」。彼は息子の名を呼び続け、自分が彼に代わって死ねばよかったとまで言って死を惜しみ、王としての立場を忘れて悲しみの中に閉じこもってしまった(33)。
 もっとも身近な親子の関係に和解がもたらされていたなら、民を巻き込んでこれほどの大きな痛みにはならなかったであろう。今日、私たちも和解すべき人がいるならば速やかに和解することができるように祈ろう。

主題 <主が決めておられたゆえに>

聖書箇所 サムエル記第二 17章 (2012年12月 2日)

今日のみことば「アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。」 (14)  

 アヒトフェルによってダビデの追撃が始まった。アヒトフェルの作戦は、まだ遠くまで行かないうちに追跡し、急襲して王を討ち取れば、民はアブシャロムにつくようになるというのである。 
 ところがアブシヤロムは、何を思ったか、もう一人の参謀フシャイの意見を求めた。フシャイはまず、アヒトフェルの作戦の問題点を指摘し、危惧される事態を挙げて、聞き手に不安を起こさせ、その上でことば巧みに自説を展開した。彼は、ダビデとその家来たちの勇猛さと戦略家としての巧妙さを強調し、もし民の中に戦死者が出るようなことになれば、士気が一気に低下して、たちまち戦意を失うことになる。むしろ全イスラエルに召集をかけ、アブシャロム自身が大軍を率いて戦いに臨み、ダビデたちを数で圧倒して、残らず滅ぼすのが得策だと主張した(7-13)。フシャイはダビデたちが安全な場所まで逃げのび、戦いに備えるゆとりが与えられるように、少しでも多く時間を稼ぐことを意図していたのであるが、アブシャロムと民が採用したのは、何とフシャイの作戦の方であった。「主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。」(14)以前、アヒトフェルがアブシャロムの謀反に加担しているという知らせを受けたダビデが、とっさに祈った、「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)という祈りを主は確かにお聞きくださり、お応えくださった瞬間だった。

主題 <主にゆだねて生きる> 

聖書箇所 サムエル記第二 16章 (2012年12月 1日)

今日のみことば「ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。」(11)

 ダビデたち一行にツィバがもたらした糧食は、どれほどありかたいものであったろうか(1、2)。ツィバはメフィボシェテの裏切りのことばをダビデに伝えた(3)。ダビデはツィバのことばの真偽を詮索することなく、即座にメフィボシェテに与えた土地をツィバのものとすると告げた(4)。
 サウルの家のシムイの仕打ちは、どれほどダビデたちを打ちのめしたことであろう。彼はダビデをのろい、石を投げつけながらしつこくついて来た。かつて油注がれた王であるサウルに手を下してはならないとダビデに制せられたアビシャイは、王にのろいのことばをぶつけてくるシムイは当然罰せられるべきだと考えたが、ダビデは「彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから」と言って、はやるアビシヤイを制した。ダビデは、今は主の御前にへりくだる時だと考えたのであろう。主の力強い御手の下にへりくだる者を、主はちょうど良いときに高くしてくださるという信仰を、彼は控えめながら言い表している。
 フシャイはダビデの指示に忠実に従い、エルサレムに到着したアブシャロムを「ばんざい」の連呼で迎えた。アブシャロムからその無節操ぶりを指摘されると、アブシャロムに仕える意志を大胆に表明し、彼の信頼を得た(16-19)。ダビデのそばめのところに公然と入るようにとのアヒトフェルの助言は直ちに実行に移され、ナタンの預言のとおりになった(21、22)。

主題 <たった一言の主への求めの祈り>

聖書箇所 サムエル記第二 15章 (2012年11月30日)

今日のみことば「ダビデは、「アヒトフェルがアブシャロムの謀反に荷担している」という知らせを受けたが、そのとき、ダビデは言った。「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」(31)  

 ダビデとアブシャロムの拝謁は一見問題解決に至るかに見えたが、アブシャロムの思いはそこにあったのではなく、彼はダビデに変わって王となる目的のために動き出す一歩であったことが分かる。 
 アブシャロムは民の注目を集めさせ民の心を盗み(6)、4年の歳月をかけてダビデに反旗を掲げる準備していき、ついにヘブロンで王となったと言わせダビデに反旗を振りかざすこととなった。
ダビデはアブシャロムの謀反に、民たちもなびいていくことを見てエルサレムから逃げることを決断する。かつてはサウル王に追われ、次には自分の息子アブシャロムに追われることになるという悲しい人生をたどらなければならなくなったダビデの姿から私たちは学ばなくてはならない。これもダビデの罪と正しく判断しさばくことをしないできダビデでの弱さから始まっていたことであった。
泣きながら、頭をおおい、オリーーブ山を裸足で登るダビデたちの姿はあわれであった(30)。彼らは「あてどもなく旅を続ける」ことになるかもしれなかった(20)。知者アヒトフェルが、謀反に加担していることを知ったダビデは、直ちに「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」と祈った(31)。その祈りの答えであるかのように、アルキ人フシャイがダビデのもとに来た。ダビデは彼に、「アヒトフェルの助言を打ちこわす」者となり、王宮の情報をツァドクとエブヤタルに知らせるように依頼した(34、35)。こうして主は、ご自身にゆだね切ったダビデのために、助け手を備えられた。
逃亡生活の中に一言の祈りであるがダビデは主に祈り、その祈りに応えてくださった神の憐れみを覚えさせられる。

主題 <問題は先伸ばしてはならない> 

聖書箇所 サムエル記第二 14章 (2012年11月29日)

今日のみことば「それで、ヨアブは王のところに行き、王に告げたので、王はアブシャロムを呼び寄せた。アブシャロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブシャロムに口づけした。」(33)
 アブシャロムのアムノン殺害事件によって、ダビデとアブシャロムとの間の亀裂はその後の王位継承に大きな影響を与えると考えたヨアブは一人の知恵のある女をダビデのものとに遣わした。ダビデとアブシャロムとの間にある確執を取り除こうと助言していく。
しかし、ダビデは、女の話が作り話だと見抜き、背後に指図する者がいて、それがヨアブであるということを察した(19)。ダビデは最終的には、ヨアブに命じてアブシャロムをエルサレムに連れ戻させた(21)。しかし、王はアブシャロムの謁見を許さず、自分の家に引きこもっていることを命じた(24)。ダビデはまだ彼を赦してはいなかったのである。アブシャロムは、王に一度も会うことを許されないままで、二年が過ぎた(28)。それまでじっと耐えてきた彼であったが、ついに耐え切れなくなったのか、事態の打開をヨアブに託そうと、二度にわたってヨアブのところに人をやり、呼び出したが、彼は来なかった(29)。そこでアブシャロムの採った手段は実に乱暴で、突然ヨアブの畑を焼き、驚いて飛んで来たヨアブに、アブシャロムはエルサレムにいながら王に謁見が許されず、引きこもって日を過ごさなければならない苦しみを訴え、王への取次ぎを願った。ヨアブから、アブシャロムの希望のない日々の苦しみについて聞いているうちに、わが子へのあわれみが湧いてきたのであろうか、王はようやく謁見を許した。「王はアブシャロムに口づけした。」(33) 
結局、ダビデは、タマルを辱めたアムノンにも、アムノンを殺したアブシャロムにも、毅然として対処せずに、はっきりしない態度のままで七年を過ごしてしまった。