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2013年1月

2013年1月16日 (水)

主題 <大いなる者となる>

聖書箇所 サムエル記第二  5章 (2012年11月20日)

今日のみことば「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。」(10)

イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来て、主の前で契約を結び、ダビデに油を注いで、王とした(3)。サムエルによって油を注がれ、イスラエルの王とされたにもかかわらず、これまでは、ダビデはサウルに仕え、またサウルの追っ手から逃げ回る、忍耐の日々を過ごさなければならなかった。しかし、ダビデはこの時を自分の力で切り開くのではなく、神の導きにゆだね待ち望んだというところにダビデの信仰の勝利をみるのではないだろうか。
王とその部下がエルサレムに来たとき、その地はまだエブス人の土地だった。彼らは「ダビデがここに来ることはできない」と考え、ダビデを軽蔑した(6)。しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取り、これをダビデの町と呼んだ(7)。このとき以来エルサレムは、部族を越えた、主の民の都となった。ダビデの評判を聞いて、ツロの王ヒラムは、友好的な申し出をしてきた。その地の名産の杉村と大工、石工が送られて来て、ダビデのために王宮を建てた。「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った。」(12)
ダビデが王となったことを聞いて、ペリシテ人がダビデをねらって攻め上って来た。ダビデは主に伺いを立て、示されたところに従って行動し大勝した。
ダビデの王権はまさに神と共にあることにより、ますます栄えていきました。私たちも主と共にあることを切に求め歩んで行きましょう。

主題 <正義を持って神の時を待つ>

聖書箇所 サムエル記第二  4章 (2012年11月19日)

今日のみことば「まして、この悪者どもが、ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか。」(11)

 将軍アブネルがヘブロンで死んだという知らせは、彼が王として擁立したサウルの子イシュ・ボシェテをはじめとするサウルの家の者たちに、大きな衝撃を与えた(1)。そのような絶望的な情勢を読み取り、活路を切り開こうとレカブとバアナは、寝室で昼寝をしていたイシュ・ボシェテを殺して首をはね、その首を持って、一晩中歩いてヘブロンのダビデのところにやって来た。彼らはイシュ・ボシェテの首をもってダビデに取り入ろうとしたその行動はまさに自分の利得、名誉のための何物でもなかった。
しかし、ダビデの答えは、彼らからすれば全く意外なものであった。かつて、王冠と腕輪を証拠に、サウル戦死の「良い知らせ」をもたらしたアマレク人に、ダビデは、ほうびではなく死をもたらしたと同じように(1:14~16)、「私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか」と言って、彼らを討たせた(11、12)。
 ダビデはここでも、王の子に対する謀反には加担していなかったことを明示した。ダビデにとっては、サウルも、イシュ・シェテも、滅ぼすべき敵ではなかった。ダビデは、サウルから始まったイスラエルの王権を、引き継ごうとしていたのである。王座を占めている者を、その座から引きずりおろそうという考えは、ダビデには少しもなかった。ひたすら神の時が来て、神ご自身が彼を王座に着かせてくださると、信じて待ち続けたのである。

主題 <主のさばきにまかせて>

聖書箇所 サムエル記第二  3章 (2012年11月18日)

今日のみことば「この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」」 (39)  
 将軍アブネルはイシュ・ボシェテのことばに怒り(8)、ダビデに王位が移るように宣言する(10)。そして、アブネルはダビデに会うべくやってきてダビデと盟約を結んだ。
 それを聞いた兄弟アサエルをアブネルによって殺されたヨアブは、アブネルがダビデを訪ね、盟約を結び、また安全に送り出されたと聞くと、激しくダビデに抗議し、アブネルが来たのは偵察活動のためだったと、ダビデを責めた。ヨアブは、ダビデに内緒でアブネルを連れ戻させ、彼をだまして殺してしまった。アブネルがヨアブの手によって殺されたことを知ったダビデは、ヨアブを責めた。ヨアブのしたことが主の御前に正しくなかったばかりか、このことがダビデによって画策されたこととみなされる可能性が、大いにあったからである。ダビデは、自分がこの件に全く関与していないばかりか、むしろアブネルを信任していたことを示すために、できる限りのことをした(31~34)。そのようなダビデの一連の振る舞いを見て、「全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った」(37)。
 ダビデは、この時はヨアブとアビシャイの不正に報いることをしなかった。自分には、「まだ力が足りない」と考えていたからである(39)。
 ダビデは多くの血を流すことなく王位争いに対応しようとしたが、それでも憎しみが渦巻き、血が流されていたことに対して最終的には主の解決を待ち望むことにした。私たちの最終的には主のさばきにゆだねて行くことができるように備えよう。

主題 <空しい争い> 

聖書箇所 サムエル記第二  2章 (2012年11月17日)

今日のみことば「アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を滅ぼしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵士たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」」(26)

 ダビデがサウル王のために葬りをしたヤベシュ・ギルアデの人々に報いている間、一方、サウルの将軍アブネルが、サウルの子イシユ・ボシェテを王として擁立したために、ダビデを王としたユダ部族との間に、深刻な対立が生じることとなった。 
 ダビデの姉妹ツェルヤの三人の息子たち、ヨアブ、アビシャイ、アサエルは、ダビデの身近に仕える者として、アブネルを討ち取ろうと考え行動し始めた。その中の一人アサエルは、「野にいるかもしかのようだ」と言われるほどに、抜きん出た俊足の持ち主だった。しかし、そのすぐれた能力がかえってわざわいとなってしまった。アブネルに追い迫る彼の力強い足取りは、将軍の一撃によって死んでしまった。このことは、イスラエルの同胞同士が血を流し、殺し合うことの無意味さと愚かさを象徴するかのような出来事であった。兄弟を失ったヨアブとアビシャイはアブネルを追ったが、夜を迎えたとき、アブネルの停戦の呼びかけに応じて、ようやく追撃をやめた。両者は互いに「自分の兄弟たち」と戦っていることを認識しながら、戦っていたのである(26)。
 アブネルと部下たちは、一晩中歩き続け、翌日マハナイムについた。一方、ヨアブと部下たちも一晩中歩いて、ヘブロンに着いた。アサエルは、ベツレヘムにある彼の父の墓に葬られた(32)。その日の戦死者数は、ダビデの家来が二十人であったのに対し、アブネルの部下は三百六十人であった。
 いつの時代も空しい権力争いを続けてしまっていなだろうか考えさせられる。

主題 <サウルとヨナタンの死を痛むダビデ>

聖書箇所 サムエル記第二  1章 (2012年11月16日)

今日のみことば「彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。彼らが剣に倒れたからである。」(12)  

ダビデとその部下たちが、ツィケラグに帰還して三日目に、王の陣営から来たという一人の男によって、王とヨナタンの戦死が知らされた(4)。その男の身なりは喪に服しているようであったが、彼には、いち早く王の訃報をダビデに知らせて喜ばせ、ほうびに与かろうという下心があったようである。それは全くの見当違いであった。サウル戦死の報は、ダビデを喜ばせるどころか、むしろひどく悲しませることになった。ダビデとその部下たちは、王とヨナタンのために喪に服し、嘆き悲しみ、夕方まで断食した(12)。絶えず王に追い回され、苦しい日々を過ごして来たダビデであったが、「主に油を注がれた方」である王の死を、喜ぶことはしなかった。ダビデにとって、王の最期について語る男の証言は、聞き流しにできるものではなかった。サムエル記第一、三一章の記録とは異なるが、その男自身が「油注がれた方」を殺したと証言したからである。ダビデは、その男の行為は、神を恐れない不遜な行為だと指摘し、直ちに死刑が執行された(14-16)。ダビデは王とヨナタンを悼む哀歌を唱えた。その中でダビデは、彼らの死がペリシテ人に知らされないようにと歌い、また彼らの死に対する口惜しさを表現している(20、21)。それに続いて、二人の勇士ぶりを巧みに描写している(22-24)。特にヨナタンについて、「あなたの私への愛は女の愛にもまさってすばらしかった」と、常に変わらずに彼を支え続けた同信の友の、真実で犠牲的な愛をたたえている(26)。ダビデは、万感を込めた叫びである「ああ、勇士たちは倒れた」で始めたこの哀歌を、同じ叫びで閉じている(19、25、27)。

主題 <サウルの死> 

聖書箇所 サムエル記第一 31章 (2012年11月15日)

今日のみことば「こうしてその日、サウルと彼の三人の息子、道具持ち、それにサウルの部下たちはみな、共に死んだ。」(6)

 かつてダビデが、サウルの死について「主は、必ず彼を打たれる。……彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ」と語ったそのことが実現する日(26:10)、また、霊媒女に呼び出されて現れたサムエルが、サウルとその息子たちが共に戦死し、イスラエルが「ペリシテ人の手に渡される」と語ったその日が、ついにやって来た(28:29)。その日、ギルボア山での戦いは悲惨を極めた。イスラエルの多くの者が倒れ、サウルの三人の息子たちは打ち殺された。ダビデの盟友ヨナタンも、その一人であった。サウルも重傷を負った。彼は敵の手に落ちて、なぶり者にされることを恐れ、道具持ちにとどめをさすように命じた。しかし、彼が恐れて従わないとわかると、サウルは自ら剣の上に倒れて自害した。道具持ちも、その後を追って自害した。
 イスラエル人は、ヨルダン川の東岸の人々でさえ、町々を捨てて逃げ去ったので、「ペリシテ人がやって来て、そこに住んだ」(7)。「彼らはサウルの首を切り、その武具をはぎ取った。」(9)「彼らはサウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらした。」(10)
 ヤベシュ・ギルアデの人々は、かつてサウルによってアモン人から救われたことの恩を覚えていた。彼らは、いのちの危険を冒してまで、サウルと息子たちの死体を、ベテ・シャンの城壁から取り降ろして持ち帰り、火で焼いて骨にして柳の本の下に葬り、サウルに対する彼らの変わらない敬愛を表したのである(11-13)。このことは、サウルの悲惨な死の出来事に、いささかでも温もりを添えるものとなった。

主題 <主に伺い求めたダビデ>

聖書箇所 サムエル記第一 30章 (2012年11月14日)

今日のみことば「ダビデは主に伺って言った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」するとお答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」」(8)
アマレク人によってツィケラグが襲われ、ダビデや部下たちの家族が連れさらわれる事件が起こった。ダビデは襲った者たちを追うべきかを主に伺い求めた(8)。主の導きのうちに、アマレク人の仕業であることをつきとめ、ついにアマレク人の陣営に追いついた。 
ダビデとその部下たちは、勝利に浮かれて、お祭り騒ぎをしていたアマレク人の陣営を急襲し、一昼夜にわたって徹底的に討ち(16、17)、無事、妻子や戦利品など、アマレクが奪い取ったものを全部、取り戻した(18、19)。
 ベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者たちには、妻子は返すにしても、分捕り物を分けてやるわけにはいかないと主張する「意地の悪い、よこしまな者たち」がいたが、ダビデは、アマレク人の略奪隊に勝つことができたのも、分捕り物を得ることができたのも、主がそうしてくださったからなのだから、戦った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じでなければならないとし、「これをイスラエルのおきてとし、定めとした」(22125)。主から受けた恵みは、分かち合われるべきだというのが、ダビデの考えであろう。
 ダビデは、「友人であるユダの長老たち」、ユダ南部の「ダビデとその部下たちがさまよい歩いたすべての場所の人々」に、分捕り物のいくらかを贈り物として送った(26、31)。当時、彼らから受けた恩を心に留め、感謝の気持ちを表したかったのであろう。
 このように、町が焼き払われ、妻子が連れ去られるという打ちのめされるような危機的経験は、ダビデの指導者としての信仰によって、一転して主の恵みの経験となった。

主題 <主の最善> 

聖書箇所 サムエル記第一 29章 (2012年11月13日)

今日のみことば「そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「主は生きておられる。あなたは正しい人だ。私は、あなたに陣営で、私と行動を共にしてもらいたかった。」(6)

ダビデとその部下は、ガテの王アキシュの命令に従い、イスラエルと戦うため集結したペリシテ人の領主たちに混じって出陣した。ダビデの心の中は、恐らく穏やかではなかったであろう。アキシュはダビデがいつも、同胞イスラエルと戦って略奪していると信じ切っていたのであるが、ダビデが実際に戦っていたのは異邦の民で、同胞と戦うつもりなどなかったのである。にもかかわらずダビデとその部下は、アキシュに従って出陣するしかなかった。そのまま行けば当然、同胞と一戦交えることになる。ダビデが落ち着いた態度で出陣し、従軍しえたのは、恐らく、すべてを主にゆだねてのことだろう。
主は思いがけない仕方で、完全なお答えを下さった。ペリシテ人の首長たちが一緒に出陣したダビデを見て、「戦いの最中に、私たちを裏切るといけませんから」、「私たちといっしょに戦いに行かせないでください」と、アキシュに対して強く抗議をしたのである(4)。アキシュはダビデをあくまでも信用し、高い評価を変えようとしなかったが、ペリシテ人の首長たちの抗議を受け入れ、ダビデとその部下たちを説得して、ペリシテ人の地へと帰したのである(6、7、9)。こうして、ダビデは同胞イスラエルに刃を向ける必要がなくなり、かつ、アキシュの信頼を失うこともなかった。まことに鮮やかな、主の解決法であった。
主にある人知を超えたところにある方法が主にあって導かれたこの出来事を覚え、私たちも主に最善な解決を求める者となりましょう。

主題 <主のみことばに聞く>

聖書箇所 サムエル記第一 28章 (2012年11月12日)

今日のみことば「あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。」(18)

イスラエルの地に深く入りこんだペリシテ人は、シュネムに陣を敷いた。これに対しサウルは、全イスラエルを召集してギルボアに陣を敷いたが、「その心はひどくわなないた」(5)。サウルは主の確かなみこころを求めたが、どんな方法を用いても、主からの答えは得られなかった(6)。
そこでサウルは、主に禁じられ、かつて彼自身も禁じて国中から追い出した霊媒に、すでに死んで葬られた預言者サムエルをよみから呼び出させ、主のみことばをもう一度取り次いでもらおうと、エン・ドルの霊媒のもとに密かに出かけて行った(8)。サウルは霊媒女によってサムエルを呼び出して導きを求めようとした。サムエルを呼び出した霊媒女が思わず叫び声を上げたのは、その現象が彼女自身にとっても意外だったからであろう(12)。
 かつてサムエルによって語られた主のみことばに、忠実に従うことができなかったために、主によって王位から退けられたサウルが、何とか導きを得たいと望みをかけたサムエルの口から聞いたことばは、かつて聞いた厳しい主の宣告の繰り返しであり、また目前に迫ったペリシテ人との戦いの、悲惨な結末についてであった(16-19)。望みを失い、食欲を失って、心身ともに衰弱したサウルは、霊媒女のもてなしに支えられて、帰途に着いた(20-25)。
 平安を得たいと別な方法で求めたサウルの姿に私たちも注意しなくてはならない。いつも主のみことばに聞き従うという姿勢を失うことがないのようにしよう。

主題 <長い忍耐>

聖書箇所 サムエル記第一 27章 (2012年11月11日)

今日のみことば「ダビデがペリシテ人の地に住んだ日数は一年四か月であった。」 (7)  

 ダビデが、本来は敵であるペリシテ人の地に避難場所を求めたことは、彼の置かれた状況の厳しさを物語たっていると言える。サウルの手から逃れるには、これ以外に道はないと思われるほど、彼は追い詰められていた。
 ダビデは以前、同じようにガテの王アキシュのもとに身を寄せようとしたのであるが、その時は失敗に終わった。しかし、この度のダビデは、当時とは大きく違っていた。以前は一人だったが、今は六百人の部下と、その家族を伴っていた。また、彼がサウルに追われる「お尋ね者」だということは、すでにペリシテ人の間でも周知の事実であっただろう。こうしてガテの王アキシュは、ダビデとその部下たちを受け入れ、自分の臣下の一人とした。そのことを知ったサウルは、ダビデ追討をやめた。
 ダビデはアキシュに願い出て、ツィケラグを領地として得た。ツィケラグはヨシュアの時代に、ユダ族の相続地の中にあるシメオン族の相続地として割り当てられていましたが、実際にはまだ領有されていなかった。ダビデはツィケラグを拠点に、ユダ南部の乾燥地帯に住む諸部族を襲っては全滅させていた。しかしこの時は、彼は同胞イスラエルに忌みきらわれるようなことをしているかのように見せかけるためにしたのであって、主の導きに従ったのではなかった。アキシュはダビデを信用し、いつまでも彼のしもべになっているだろうと考えるに至っている(12)。
 ダビデにとって長い忍耐を要した時だったと思われるが、ダビデと共にいた者たちは守られて行くこととなる。