主題 <きょうは、良い知らせの日なのに>
聖書箇所 列王記第二 7章 (2013年1月 7日)
今日のみことば「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。」(9)
神に背いたイスラエルが大きな試練に直面していたのです。アラム、すなわち北方のスリヤが圧倒します。生活は徹底的に困窮しています。
ここに人々から拒絶されていた4人のツァーラト(新改訳2版訳 らい病人)たちは、死ぬならそれでよしと敵陣のアラムの陣営へ行こうと決心する。もし殺されるなら、そのときは死ぬまでのことだと(4節)。
このらい病人の苦しみは、救われねばならないと行き詰まった私たちの姿です。しかし、不思議が起こったのです。アラムがいのちからがら逃げ去った後でした。主がふれてくださる、主が目を留めてくださるとはこういう事です。
この出来事を目の当たりにした4人は、「きょうは良い日なのに、ためらっている」と。そして「さあ、知らせよう」と自分たちを迫害してきた人々に救いを知らせるのです。彼らの生き方が、福音宣教をする者へのすばらしい模範を示しています。ツァーラトになぞらえる恐ろしい罪は、きよめられるまでゆき詰まりの中に日毎に生活していることになる。罪の払う価が死の報酬だからです。
自分たちだけがたくさんのぶんどり物を手にするだけではなく、国民全体への救いの知らせを伝えるものになりましょう。
今日という一日は、神様の大きな恵みに生かされていることをあかしする一日として、良い知らせを伝える歩みを始めよう。キリストの愛にこたえる歩みに前進しよう。
<祈り>主よ。救われた生涯なのに、さらに自分を豊かにしようとする愚かさに気付かせてください。