主題 <互いの霊的成長を求めて>
聖書箇所 ローマ人への手紙 14章(2011年10月 6日)
今日のみことば「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」(19)
1節に「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。」とパウロは言われました。教会に集う人々にはさまざまな背景をもった人々が集います。特に、弱さを持つ人に配慮していくように勧められました。当時のローマ教会には、社会的弱者の人も弱い人ととして指していたと思われるが、それだけでなく、当時の世界の中心地ローマと言うことで、さまざまな人種、文化、価値観を持った人々がいて、さまざまな考え方の人々が教会に導かれていくという中で、信仰的にまだ未成熟の人がおり、そのような人を指して弱い人と言っていたと考えられます。
ローマ教会の信徒の中に、食べ物のことや特定の日を守ることなど、まだ律法を重んじる人々など様々人々がいた(2、5)。そのような人々を見て、さばく人々もいた(3~4)。このような状況に対して、パウロは安易にさばくことをしないように勧め(1)、互いに受け入れあうように勧めました。パウロは、それぞれの人々がキリストにあって導かれてきた人であり、だれもが神にさばかれるという点においては同じものであることを知らなくてはならないことを示されました(10)。
私たちもこれまでの教会の歴史、そこで行われてきたことなで、一つ一つは大切なことですが、意外とそのことが人を遠ざける、排他的な価値観となってしまい、受け入れ合うということを忘れさせてしまっていないかと思わされることがあります。自分の設けた基準で人との交わりを規定し、場合によっては人をさばくこととなってしまうならば悲しいことと思いませんか。
むしろ、さまざまな個性を持った人々が共に集うようになっているということは奇跡的なことであり、神様はそのような出会いを備えて下さり、神の家族とされようとしてくださっていることを覚えるならば、これほどすばらしいことはないとも思うのです。
何を食べるか、飲むかと言う議論ではなく、「平和に役立つこと」と「お互いの霊的成長に役立つこと」を追い求めていくことが大切であることを教えられました。私たちの教会における交わりも違いをさばくのではなく、そのような違いをも含めて導かれてきた一人一人を受け入れあい仕え合うことによって生きるキリスト者として歩んでいけるように祈りましょう。