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2012年9月20日 (木)

主題 <弱い立場にある人々への配慮>

聖書箇所 申命記 24章     (2012年 8月17日)

今日のみことば「思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。」(18)  

 1~4節の規定は、離婚を勧めているわけではなく、むしろ離婚に二重の歯止めを与えるものである。一つは、離婚には正当な根拠を必要とすること、もう一つは、離婚状という正式な文書を必要とすることである(1)。
 神が本来、人間に与えられた祝福は結婚であって、決して離婚なのではないということを、私たちは改めて、心に留めるべきである。今日あまりにも自分勝手に離婚がなされ、それが家庭崩壊をもたらしていることを、考えなければならない。新妻への配慮(5)、誘拐に対する厳罰(7)、貧しい人に物を貸すときの規定(10-13)、雇い人への賃金を滞らせてはならないことなど(14、15)、こまごまとした教えが続いている。これらの教えの原則は、現代にも取り入れられるべきであろう。
 また、17節以下は、在留異国人、みなしご、やもめのような弱い立場の人々を取り上げて、彼らを顧みるよう勧めている。モーセは、その勧めの根拠として、イスラエルがかつてエジプトの地で奴隷であったことを挙げている(18、22)。奴隷の苦しみを知っているからこそ、苦しんでいる人々を思いやることができるはずだと言うのである。
 彼らは、神の顧みによってエジプトから贖い出されたことを忘れることなく、弱い立場の人々を具体的に助け、配慮するよう求められたのである。
 私たちは今日も隣人を愛し、仕えていくことができるように祈ろう。

主題 <きよさを保つために> 

聖書箇所 申命記 23章     (2012年 8月16日)

今日のみことば「あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。あなたの陣営はきよい。主が、あなたの中で、醜いものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなければならない。」(14)

この章で最も多くのスベースが裂かれているのは、主の集会に加わる者の資格についてであり(1~8)、次が、陣営をきよく保つための規定についてである(9~14)。さらに、15~16節には、逃亡奴隷の保護規定、17~18節には、神殿娼婦・男娼禁止規定、19~20節には利息の取立ての規定、21~23節には、誓願についての規定、24~25節には、ぶどう畑と麦畑の、貧しい者への解放の規定が記されている。
 集会と訳されているヘブル語は、ギリシヤ語では教会を意味する言葉である。神の民の集いとは、新約聖書における教会に相当するものと考えても間違いではない。主の集会は、年三度の祭りの時、また戦いに出る時などにも召集された。主の集会に加わるには、神の民ならだれでもよいというわけではなかった。1節は、単なる身体的欠陥を問題にしているのではない。2節も、単なる差別ではなく、どちらも異教習慣とのかかわりを断つことを求めたものである。神は、神の民が、自らをきよく保つことを望まれた。
 イスラエルの、出エジプトの旅路を、悪意をもって妨害したアモン人とモアブ人は、主の集会から除かれた(3-5)。エドム人とエジプト人は、三代目から加わることができた(7、8)。
 敵に対して出陣しているときに陣営をきよく保つための規定は(9~14)、神がイスラエルの民の中におられ、民と共に戦ってくださることを示している。すなわち、聖なる神の陣営から、一切の汚れを除くことが求められている。

主題 <結婚と家庭に関する規定>

聖書箇所 申命記 22章     (2012年 8月15日)

今日のみことば「夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男もその女も、ふたりとも死ななければならない。あなたはイスラエルのうちから悪を除き去りなさい。」(22)

 前半には六つの教えがある。
 ①同族の者の元から迷い出たり、倒れたりした家畜を見て、知らぬふりをしてはならないこと(1~4)。この教えには、よきサマリヤ人のたとえ話に通じるものがある。②異性の着物を着ることの禁止(5)。③ひな、または卵を抱いている母鳥の取り扱いについて(6、7)。 ④新築家屋の屋上に、てすりを設置すること(8)。 ⑤不自然な組み合わせの禁止(9~11)。⑥着物の四隅にふさを作ること(12)。
 後半は全体を通じて、結婚と家庭の聖別について教えている。
 13~21節では、婚前の不品行を理由に、妻と離縁しようとする夫の訴えに対する規定である。それが虚偽なら、夫はむち打ちと罰金金刑に処せられ、一生妻を離縁できない。しかし、不品行が事実なら、妻は石打ちの刑に処せられる。22節は、既婚の女性との不倫関係が見つかった場合で、不倫をした男女とも石打ちの刑に処せられる。23~27節は、婚約中の女性が辱めを受けた場合。町の中で不品行が行われ、女性が叫ばなかった場合は、男女とも、石打ちに処せられる(23、24)。しかし彼女が野で強姦された場合は、強姦した男だけが、石打ちの刑と定められている(25~27)。
 28~29節は、婚約していない処女を犯した場合で、男は彼女の父親に慰謝料を支払い、彼女を妻とし、一生離縁できないと定められている。30節では、自分の父の妻との結婚の禁止が告げられる。
 こと細かく結婚、家庭について厳しく戒められていることを覚え、真実を尽くす関係を築いていくことができるようにしよう。

主題 <家族関係に関する規定>

聖書箇所 申命記 21章     (2012年 8月14日)

今日のみことば「もしあなたが彼女を好まなくなったなら、彼女を自由の身にしなさい。決して金で売ってはならない。あなたは、すでに彼女を意のままにしたのであるから、彼女を奴隷として扱ってはならない。」(14)

本章には、約束の地で起こりうる、様々な問題への対処の仕方が教えられている。今日の箇所では、家族、親子関係についての言及に注目したい。
  第一は、捕虜の女性を妻にする場合の規定で(10~14)、たとえ相手が捕虜であっても、充分な配慮をするように求められている。特に、自分の父母のために一か月間泣き悲しむべきこと、結婚後、夫から好まれなくなっても奴隷として扱うことが禁止されていることに、主の配慮を見ることができる。
 第二は、ふたりの妻の子どもの相続権についてである(15~17)。ふたりの妻の一方は愛され、他方は嫌われている場合に、もしも長男が、嫌われている妻の子であっても、彼から長子としての権利を奪ってはならなかった。彼は二倍の分け前を受ける権利がある。
 第三は、親に逆らう子に対するさばきについてである(18~21)。この教えは、「十戒」の第五戒目の「あなたの父と母を敬え」という規定と深くかかわっている(出エジプト20:12)。イスラエルでは、父母は、神の代理人の立場にあったので、父母に逆らうことは、神に逆らうことと同じとみなされた。その罰は、石打ちによる処刑であった(21)。なんと厳しい規定かと感じるが、現代の犯罪の低年齢化と凶悪化を考えると、親が神から委託された権威をもって、しっかりと子どもをしつけることの大切さを思わせられる。
 家族、親子関係をどのように築いていくかを考えよう。

主題 <弱気になってはならない>

聖書箇所 申命記 20章     (2012年 8月13日)

今日のみことば「彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。」(3)

 1~4節では、神の民にとって最も基本的なことが教えられている。敵との戦いには、主がともにおられるので、恐れてはならないことと、勝利を与えてくださるのは、主であることを信じることが、求められている。
 5~9節には、兵役免除の三つの例が挙げられている。新しい家を建ててまだ奉献していない者、ぶどう畑を作ってまだ収穫していない者、婚約していてまだ結婚していない者である。10~18節には、町を攻略する時の規定が与えられている。10~15節にあるように、一般の町の場合には、まず降伏の勧告を行う。もしも降伏しないなら、その時には町を包囲し、その町を剣の刃で打つのである。16~18節にあるように、その町が約束の地の場合には、聖絶しなければならない。その理由は、その地の民が偶像礼拝によって神のみこころを損なっているので、そのままでは、神の民が影響を受け、主に忌みきらわれるような罪を犯すといけないからである。
 19~20節では、町を包囲してこれを攻め取ろうとする場合には、樹木を切り倒してはならないと命じられている。樹木は、すぐには大きくならないし、治水や収穫などの役に立つからと思われる。戦争によって今日までに、世界でどれほど自然が破壊されてきたかは、測り知れないほどである。
今日の箇所は決して戦争を肯定しているのではなく、主の戦い、霊的な戦いがあるということを覚え、備えていくことが求められていることを確認したい(エペソ6:10~18)。

主題 <悪に対する抑止力>

聖書箇所 申命記 19章     (2012年 8月12日)

今日のみことば「あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」 (19)

 1~13節で、4章に述べられていた「のがれの町」について再び記されている。のがれの町については、4章では、ヨルダン川の東に三つの町を取り分けるよう命じられていたのに対し(4:41、43)、この章ではヨルダン川の西側に、三つの町を取り分けるよう命じられている(2)。さらに領土の拡大に伴って、三つの町を追加するよう求められている(9)。この規定は、罪のない者の血が流されることのないためであり、故意に人を殺した場合には当てはまらなかった(11~13)。
 14節で、地境について記され、先祖から相続した土地の地境を、勝手に移すような悪を行ってはならないと戒められている。
 15節以下では、すべて人が犯した罪は、ふたりか三人の証人の証言によって立証されなければならないと規定されている。
 もし悪意のある証人が、不正な証言をする場合には、祭司たちとさばきつかさによる法廷で審理される(17)。その結果、偽証が見つかったなら、偽証人が相手に対してたくらんでいたとおりのことを報いなければならなかった。こうしてこれを聞く神の民に恐れが生じ、このことが悪の抑止力として働くのである(18~20)。
 今日、犯罪の多発する現代にあって悪に対する抑止力がなくなっているように感じさせられる。悪に対する神からの知恵が必要とされているのではないだろうか。神のみことばに聞き続けて行くことがまずなされなくてはならない。

主題 <ひとりの預言者を起こそう> 

聖書箇所 申命記 18章     (2012年 8月11日)

今日のみことば「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。」(18)

 祭司やレビ部族は、イスラエルの十二部族のように相続地を持ってはならなかった。主ご自身が、彼らの相続地だったからである(1、2)。神は彼らを聖別し、ご自身に仕える者とされた。彼らの必要の一切は、神が備えられるのである。
 9~14節では、イスラエルは、異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならないと厳しく戒められ、具体的な例が挙げられている。イスラエルの民は、偶像礼拝と関係している自分の息子、娘に火の中を通らせることは禁じられており、また、占い、まじない、呪術、霊媒、口寄せ、死人に伺いを立てることなどに、決して頼ってはならなかった。今日、私たちの身近に、こうした悪霊の働きが見られるのである。
 15節以降には、主はイスラエルの中から「私のようなひとりの預言者」を起こされると語っている(15)。この来るべきひとりの預言者とは、イエス・キリストにほかならない。
 イエス・キリストは、神と民との間の真の仲保者であられ、神のことばを語られるお方である(18)。私たちも、聖書を通して、このお方が語られた神のみこころを、聞くことができるのである。このお方が語る神のことばを拒む者は、神から責任が問われる(19)。
 私たちは主イエスに従い、みことばに教えられて歩む者とならせて頂きたい。

主題 <主の御教えを一生の間読んでいくこと>

聖書箇所 申命記 17章     (2012年 8月10日)

今日のみことば「自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。」(19)  

 17~26章においては、神の民の社会生活についての教えが書かれている。
 1~7節は、神へのささげ物は完全なものでなければならないことと、偶像礼拝を根絶するための厳しい処置について語られている。
 8~13節においては、民事や刑事事件が起こった場合の処置の仕方について、教えられている。まず争いごとが起こると、その地域でさばきがなされた。しかし、そこで手に負えない場合には、主の選ぶ場所に上り、レビ人の祭司たち、さばきつかさのもとに行って、さばきを受けなければならなかった(8~11)。
 14~20節は、イスラエルの王についての規定である。元来、イスラエルは、神ご自身が統治される国家である。しかし将来、民が隣国に倣って王を立てたいと要求することを仮定し、その場合の注意が与えられている。王は神の選ぶ者でなければならなかった。また、同胞イスラエルの中から選ぶことが求められた(15)。さらに、王に対する三つの禁止条項が示されている。第一は、王は自分のために馬を多くふやしてはならなかった。第二は、多くの妻を持ってはならなかった。第三は、自分のために金銀を非常に多くふやしてはならなかった。イスラエルにあっては、王は神のしもべであることを覚えて、高ぶることなく、神を恐れ、律法を守り行うべきだったのである。
 主のみことばが生活の規範となるようにいつもみことばに聞く者となろう。

主題 <主の御業を覚えて祝う>

聖書箇所 申命記 16章     (2012年 8月 9日)

今日のみことば「アビブの月を守り、あなたの神、主に過越のいけにえをささげなさい。アビブの月に、あなたの神、主が、夜のうちに、エジプトからあなたを連れ出されたからである。」(1)

 この章にはイスラエルの三大祭りの由来が示され、祭りに関する規定が書かれている。
 第一は、過越の祭りで、アビブの月に守られた(1~8)。これは、神がイスラエルの民をエジプトから救い出してくださったことを覚えているためであった。この祭りは七日間守られ、この間、パン種を入れたものを食べてはならなかった。それは、急いでエジプトを脱出したためであった。このパンは悩みのパンとも呼ばれ、エジプトでの苦難を忘れないためのものであった。過越の食事は、主が選ばれた場所において調理して食べることが定められている。
 第二は、七週の祭りで、大麦の初穂の束をささげる日から数えて五十日目の、一日だけの祭りであった(9~12)。これはエジプトで奴隷であったイスラエルの民を、神が解放してくださったことを記念するためであった。また穀物の収穫感謝の意味も込められていた。
 第三は、仮庵の祭りで、打ち場と酒ぶねから取り入れが済んだとき、七日間守られた(13~15)。この祭りは、刈り入れが終わったその年の終わりにもたれ、収穫の喜びの時であるとともに、イスラエルの民がエジプトを脱出後、荒野をさまよったこと、仮小屋を住まいとしたことを記念している(レビ23:43)。
 18~22節には、さばきつかさの任命と、さばきの規準について書かれている。21~22節には、主の祭壇のそばに、アシェラ像や石の柱を立ててはならないと、厳しく戒められている。
 主のなされた御業を覚えて祝われた祭りであったが、私たちは毎週の礼拝ごとに主をあがめていきたいと思います。

主題 <あわれみの心を閉ざしてはならない>

聖書箇所 申命記 15章     (2012年 8月 8日)

今日のみことば「進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。 」(8)

 1~11節では、七年の終わりごとの負債の免除において、あわれみを示すよう求められている。
 貧しい者に対して「心を閉じてはならない」、「手を閉じてはならない」とある(7)。私たちは、助けを必要とする人に心を閉ざしたり、物惜しみしたりしてはならない。今日、私たちはあわれみの心を閉ざしてはならない。主イエスは貧しい者にもいつも手を差し伸べられていた姿に学ばなくてはならない。
 12~18節では、奴隷解放においてあわれみを示すべきことが命じられている。
 貧しさのために奴隷となった者は、七年目には自由の身となることができた。奴隷の人権など認められていなかった時代において、この箇所における教えは、まさに神のご性格としてのあわれみを、充分に思い起こさせる。イスラエルは、かつてエジプトにおいて奴隷生活を強いられたことを決して忘れてはならなかった(15)。
 19~23節には、初子についての教えがある。
 いのちの創造者であられる神に対し、神の民は、牛や羊の雄の初子を聖別して、ささげなければならなかった。その後、そのささげ物は、主が選ぶ場所で家族と共に、主の前で食された(20)。ただし、神に対して欠陥のある初子をささげてはならないと規定されている(21)。
 今日、進んで「あなたの手を開いて」((8)、あわれみの心をもって歩む一日としましょう。