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2013年7月

2013年7月 3日 (水)

主題 <悲しみと喜びが入り交じる>

聖書箇所 エズラ記   3章    (2013年4月 3日)

今日のみことば「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。」(12)
 バビロンから帰還した人々が、7月(現在の10月)にいっせいに一人のようにエルサレム集まったのです。帰還したばかりの彼らには、しなくてはならないたくさんのことがあったろう。エルサレムまで行かなくてもいいではないか、と考えないのです。一人のクリスチャンがいいました。「救われて以来、礼拝を休んだことはない。」と。
そこに、以前の信仰生活のゆるみから来た不信仰がもたらしたバビロン捕囚だったのです。そして「めいめいが喜んでささげるささげ物を主にささげた」(5)すばらしさがあるのです。こうして神殿の再建が進んで行きますが、受けとめる人々には、かつての秀麗な神殿のかがやきを知っていた老人が泣いたのです。感無量だったのです。
一方、ほかの人々は喜びにあふれて声を張り上げたのです。自分の立つべき地は神の家のあるエルサレムであり、神殿が建設されると言うことは、神第一とすることをはっきりと表明したのです。
こうした霊的な信仰者が神を賛美し、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」(11)と歌い合ったのです。
毎週の主の日の礼拝で、神の真実に心を打たれて、互いに語り合うこの世にない交わりこそ最も大切にすべきことです。この世のことに心を奪われていたイスラエルの歴史の失敗から学び取ることができるなら、すばらしことです。ちょうど東日本震災から二年、人のことよりも自分のことに心を傾けていた日本人が<絆(きずな)>こそ何にもまさる生き方であると発見したら、多くの犠牲は無駄ではない。

主題 <主に礼拝と感謝をささげるために> 

聖書箇所 エズラ記  2章     (2013年4月 2日)

今日のみことば「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。」(68)

 エズラ記2章はエルサレムに帰還した人々の記録である。その記録は、帰還したかしらたち(2)、諸氏族別人数(3-20)、帰還地別人数(21-35)、祭司等の礼拝奉仕者たち、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたち、ソロモンのしもべたち(36-58)が記録されている。帰還者の合計は42,360名と記されています(64)。
 この章で特に帰還した者たちの中で神殿再建のために進んでささげものをした者たちがいたことです(68-69)。
ささげた者たちは「ある者たち」とあるように、民のすべてがささげたというのではなくて有志の者たちであり、それらのささげものは今日にすれば相当多額なささげものです。これらを彼らは「自分から進んで」ささげたことが記録されています。つまり、彼らはエルサレムに帰還した目的は神殿を再建し、再建するのは何よりも神に礼拝をささげるためであったということです。帰還した者たちの中に主のために多くのささげものをすでに準備し、神がとこしえにあがめられる神殿再建のために十分に備えていた者たちがいたのです。私たちは主に感謝と礼拝をささげるために何を備えることができるか祈りましょう。というのは、1;5節にあるように、強いられて献げるのではなく、進んでささげようとする人々であったからです。神の国は、こうした自発的な献身の行為によって前進していったのです。
使徒パウロも第二コリント人への手紙8章で、献金についての動機と実際を教えている。その進んで献げる人を神は愛して下さることがわかります、天上でもまた自発性が記録されているのです。

主題 <奮い立つ聖徒たちによって>

聖書箇所 エズラ記  1章     (2013年4月 1日)

今日のみことば「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。」(5)

 歴代誌はイスラエルの民が自らの不信仰、神への不従順の故にバビロンへ捕え移されて終わっている。しかし、「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。」(エレミヤ29:10)と預言されていたように、再びエルサレムへ帰還することができる約束、希望が与えられていた。
 エズラ記1章は、まさにずばり預言通り、一人のペルシャの王クロスを奮い立たせて実現されるのです(1)。奮い立つ感動は、クロス王が命令を出してイスラエルの民が帰還しただけではなく、イスラエルの民のかしらたち、祭司たち、レビ人たちも神にその霊を奮い立たされて、エルサレムに帰還し、神の宮の再建という大事業に着手しようと旅立つ決意をしています(5)。
時代も人も変わる中に神の介入があり、イスラエルの民がエルサレムに帰還し、神殿再建の大事業に携わるように民を導かれるのは神の豊かな介入があったのです。摂理の神は、停止したかに見える世界をずっと導き続けておられた。
 いつ、どのような時代でも神が働きかけてくださり、人々を力づけ、導いてくださり、自らの力では不可能と思われるような大きな働きのために用いてくださることがしばしばです。
今日を生きるキリスト者一人一人にも同様である。神は私たちを奮い立たせ、力づけてくださり生きるように導いてくださる。私は、この神のことばで前橋教会へ遣わされる勇気を得たのです。

主題 <主の憐れみは尽きず>

聖書箇所 歴代誌第二   36章  (2013年3月31日)

今日のみことばところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。」 (16)  

本章ではエホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、そして最後の王ゼデキヤについて、簡潔に記録されている。そこには統治期間と、多くは「主の目の前に悪を行なった」ことが中心に記されている(5、9)。ゼデキヤは預言者エレミヤに対してへりくだらなかった(12)。もちろん、これは一預言者に反抗したことでなく、神のことばに聴き従わなかったということである。
 このように、王および民の信仰状態が悪くなる中、当然のごとく、神の民の国が消滅してしまう(17-20)。しかし、民の心が最悪の状態であっても、神はまだ民をあわれんでおられた。神は変わらず預言者を送った。エレミヤが送られ(12)、エゼキエルもダニエルも、バビロン捕囚の時期に送られ、活躍した預言者たちであった。神は預言者を遣わして、民が立ち返ることを待っておられた。民の背きに背きを重ねる愚かさを超えて、主は預言者を用いて語り続けた。
 22節以降は、エズラ記冒頭と重複する(エズラ1:1~3)。ペルシヤ王クロスの勅令により、神の民はエルサレムに戻ることが許された。歴代誌は、このような時期に、神殿再建、信仰生活の再建を願う民の間で読まれた。国が敗れて後、信仰の希望など抱くことができないような状況だとしても当然であった。しかし、神は民をあわれみ、預言者を用いて語り、さばきと同時に次への準備期間も与えられて、信仰によって歩み続けるようにと導かれた。
 主の憐れみは尽きず、絶えず主は語り続けて下さいました。私たちも今主のみことばに聞く者とならせて頂きたいと思います。

主題 <主にささげた人生>

聖書箇所 歴代誌第二   35章  (2013年3月30日)

今日のみことば「すべては、そこにいたすべての人の過越のいけにえのためであった。その数は三万、牛は三千。これらは王の財産の中から出された。」(7)
 ヨシヤ王はまず神殿の偶像を取り除き、神を拝する場をきよめた(三四章)。ヨシヤは「聖なる箱」(契約の箱)を据えるように命じる(3)。契約の箱は、すでに神殿の中心に設置されていた(Ⅱ歴代5章)。ここでは改めて、主の臨在が約束されている契約の箱が意識され、神の臨在のもとに過越の祭りを行ない、神の民は、神と共に生きる特権が与えられていることを思い起こしている。
 彼らにはいけにえが用意された(7)。多くは、王やつかさたちが用意したものだった。用意したいけにえは、かなりの数であった。確かに「預言者サムエルの時代からこのかた、イスラエルでこのような過越の祭りのいけにえがささげられたことはなかった」と言われている(18)。これは、必ずしもいけにえの数量を指しているのではないだろう。それでは何か理由で、イスラエル王国の歴史において賞賛されるべき祭りと言われているのか。それは18節後半で言われているように、神の民全体で、主の恵みを共に祝ったという点にあるのだろう。
 すぐれた働きをしたヨシヤ王であったが、その最後は、エジプトの王ネコとの戦いに敗れ、殺されてしまった(24)。ヨシヤ王は預言者フルダによって安らかな死が預言されていた(34:28)。しかし、戦いで戦死してしまったといところに、戦うべきところではない所で、高ぶって自らの力を誇示しようとしたことによる戦いの結果の戦死だったのではないかと考えられる。
 どこまでいっても主の前に謙遜に、一人の礼拝者として歩みを全うすることができるように祈り続けていくことが大切であることを教えられるのです。

主題 <主の律法の書の発見>

聖書箇所 歴代誌第二   34章  (2013年3月29日)

今日のみことば「行って、見つかった書物のことばについて、私のため、イスラエルとユダの残りの者のために、主のみこころを求めなさい。」(21)  

ヨシヤ王は悪王マナセの子であったが、南王国の末期にあって、特筆すべき良き王であった(2)。ヨシヤは8才で王となり(1)、16才で主を求め始め、20才でユダとエルサレムをきよめ始めた(3)。詳しくは記されていないが、彼の十代において信仰の成長があったことがわかる。
 その青年王は20才で、ユダとエルサレムにあった様々な偶像を取り除き始めた(3-7)。若さもあって、多少、その方法は乱暴に感じる。また列王記の並行箇所を見ると(Ⅱ列王23:4以下)、そこでは祭司たちの骨を焼いたことが、その偶像の祭壇を汚すためだとある(同23:16)。しかし歴代誌では同じ行為について、それがきよめの行為であるとしている(5)。共通して言えることは、ヨシヤ王は、偶像の礼拝所を真なる神に対して汚れた場として厳格に認めたのであり、その背きの場を破壊したことで、それはきよめの行為なのであった。若いヨシヤ王は、神への背きが、神の聖さをそこなう汚れであるということを、しっかりと見ていた。
 ヨシヤ王に助言する者がなかったが、偶然にも主の宮において律法の書を発見し、この主のみことばがヨシヤ王の改革を進めていく力にったことは間違いない。ヨシヤ王はしっかりと主のみことばに聞き、みこころを求めていくように勧めました。
 私たちも、今日、みことばに聞き、主のみこころを求めて歩み出していけますように。

主題 <悔い改めたマナセ> 

聖書箇所 歴代誌第二  33章   (2013年3月28日)

今日のみことば「神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。」(13)

 南王国ユダの信仰を立て直したヒゼキヤ王の息子が、マナセである(1)。しかし彼は、父ヒゼキヤと全く異なり、主の目の前に悪を行なう王となってしまった(2)。マナセの悪行の中心は、神殿を偶像礼拝の場へと変えたことだった(3-7)。また彼は、子どもたちに火にくぐらせるとともに、霊媒や口寄せをした(6)。マナセがこれらを神殿で行なっていたということは、彼が、主を礼拝することと偶像崇拝とが同じようなものだと捉えていたことによる。
 マナセは神からの語りかけに注意を払わなかった。その結果、主のさばきとして、彼は捕らえられ、バビロンヘ移されてしまう(11)。そのさばきの中で、マナセは主に祈り、へりくだる(12、13)。別の言い方をすれば、悔い改めたのである。彼の悔改めは、列王記には書かれていない。確かに、高き所が残っていたことや(17)、神に背くあり方が息子アモン王にも影響していたことから(22)、マナセの生涯全体は、良い評価が与えられるべきものではない。しかし、彼が悔い改めたということを、後の時代の人々が知り、思いめぐらすとき、そこには民の間で共に思い起こさなければならない、一人の信仰者の姿がある。マナセ王の悔改めは、決して小さいものではない。さばきの悩みの中で、彼は主の御前に、自らの罪を省み、主こそが真の神であることを深く理解した(13)。
 悔い改め、主を知ることこそ信仰の一歩であることを覚えたいと思います。

主題 <高ぶりを捨てて>

聖書箇所 歴代誌第二  32章   (2013年3月27日)

今日のみことば「しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。」(26)

主が御使いを送り、アッシリヤとの戦いにおいて、まさに主が戦ってくださり、ヒゼキヤ王は勝利を得た(21)。その後、彼は病を負うという試練を経験する(24)。しかし、彼は日時計の影が十度戻るという不思議なしるしを伴って主によって癒された(Ⅱ列王20章参照)。しかし、主の恵みによって癒されたにもかかわらず、ヒゼキヤは心を高ぶらせた(25)。彼の罪の深さが記されていると共に、ヒゼキヤは悔い改めて主にへりくだる姿勢も持っていた(26)。
 二度の試練の後、バビロンからのつかさたちが来訪することが試練として記されている(31)。31節冒頭に、原文では「このようにして」という接続詞があり、この来訪に伴う事件が水道建設成功(30)の後ということに関係があることを示している。並行箇所は、列王記第二、20章12~19節であり、預言者イザヤが、近い将来にバビロンが王の財宝を持ち去ってしまうことを預言している。これは王としての事業の成功の後に、ヒゼキヤに起こった試練であり、主からの祝福を自らの力と錯覚してしまうものであった。
 バビロンからのつかさたちの来訪の後の事については記されていないが、神は試みられていたことは言われている(31)のを見ると、絶えず主の目は注がれ、人の高ぶりを注視されていたのではないかと思う。
 私たちも内なる信仰に主の目が注がれていることを覚え、高ぶりから離れることができるように、高ぶったときには速やかに悔い改める者となれるように祈らなくてはならないことをヒゼキヤ王から教えられます。

主題 <主の目の前にある歩み> 

聖書箇所 歴代誌第二  31章   (2013年3月26日)

今日のみことば「ヒゼキヤはユダ全国にこのように行ない、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行なった。」(20)

 ヒゼキヤ王は、過越の祭りの後、祝いの祭りを一週間延長した民は、いよいよ彼らの生活の場へと戻り(1)、神殿の聖別と同様、彼らの町々にあった偶像の祭壇を取り除いた。南ユダはもちろん、北イスラエルの一部(「エフライムとマナセ」)にまで、その動きは広がった。
 それからヒゼキヤは、祭司とレビ人たちを組み分けした。それには、ダビデ・ソロモン時代に確立したいけにえをささげる礼拝形式を神の民それぞれが生活する町々で再建するという目的があった。王は神のみおしえに従って(3、4)、神の民全体が整えられるように、王としての務めに励んだ。
 町々に住むようになった神の民は、いけにえとは別に多くのささげ物(「収穫の初物、すべてのものの十分の一」)を至るところに積み重ねた(5、6)。それらのささげ物を、非常にたくさん、長い期間にわたって人々は持ち込んだ。第三の月と第七の月は(7)、それぞれが収穫の時期に当たる。年二回の収穫期にわたって半年以上、彼らはささげ物を集めた。
 これらは、人々の自発的な意志によってささげられた物であった。神の民として、信仰が再興し礼拝をささげる喜びによってあふれ出る感謝の応答を、見ることができる。その豊かなささげ物を、ヒゼキヤは注意深く保管し、神の民全体に分配するように命じた(11-19)。王の指図で管理・分配の仕事に当たった者たちは、忠実に任務を果たした。年齢や地域の偏りなく、神の民全体に対して分配した。ヒゼキヤの改革によって神の民全体が、本来の神の民にある真実な信仰生活を回復していく姿が見られる(20)。
 私たちも主の前に正しく歩めるように祈りましょう。

主題 <天に届く声>

聖書箇所 歴代誌第二  30章   (2013年3月25日)

今日のみことば「それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた。」(27)

 30章では、ヒゼキヤ王は過越のいけにえをささげるよう呼びかけた。大群衆の中で、祭司とレビ人たちは、いけにえをささげる段階になって、自らがその役割にふさわしく聖別されていないことを恥じた(15)。それは、偶像を除きつつも、彼らがしばらく偶像礼拝に陥っていたためであろう(14)。祭司、レビ人は、聖別していない他の人々をとりなす役割を負い(17)、ヒゼキヤもその役割を負った(18、19)。エジプトからイスラエルを救い出した主は、神の民それぞれを救い出した。各個人が、主の救いの恵みに立ち返る必要があった。そして神の民全体が、神殿において過越の祝いを喜んだ(21)。彼らは定めに従って七日問、祝ったが、それだけでは満足せず、さらに七日間にわたって祭りを延長した(23)。
 この過越の祭りは神の民を整え、延長して行われたこおは、単なる儀式以上に、この祭りを通して民たちに大きな喜びを満たしていく結果となった。その喜びは、かつて神殿を建設し奉献した、ソロモン以来であった(26)。この喜びのうちにある神の民の声は、天に届いた(27)。
 主は今日も礼拝されるべきお方である。そして、私たちは毎週の礼拝ごとに主の臨在を覚えて、喜びの声をもって礼拝しているだろうか。
その声は天に届いている。つながっているということを覚えて、礼拝をささげていくものとならせて頂きたい。