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2012年3月20日 (火)

主題 <その数は人間をさしている>

聖書箇所 ヨハネの黙示録 13章(2012年 2月 9日)

今日のみことば「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」(18)

恐ろしい宗教的、政治的存在が壊滅的な打撃を受けた。にもかかわらず、立ち直った反キリストのトップであるサタンに深く関わる獣がいた。獣であり、666という数字で表される人間のことである。
  この悪魔の手先となって働く人間は、人々の前で奇蹟を行い、地上にいる人々に偶像を拝ませることを強制する。サタンの働きを代理して執行し、火を降らせるしるしをもって獣の像を拝ませ、拝まぬ者たちを迫害し、殺していく。この恐怖から逃れる悪の名の刻印を、手か額に受けさせたのです。しかもこの刻印のない者には者を買うことのできない経済システムを築き上げたのです。
 「ここに知恵がある」(18)とはサタンやその手下たちの巧妙な手段、説得、横暴な働きがあることを感じさせます。彼らの論理や知恵は、祝福のためではなく、自己正当化、地からわき出したもの、肉的な者、悪霊に属するもの(ヤコブ3:15)です。
 「ここに知恵がある。」一方では、主の弟子の中にある上からの知恵(ヤコブ3:17~18)は純真であり、平和、寛容などの良い実に満ち、悪の働く力を見抜くことができるのです。多くの人々がしるしに惑わされて悪のグループに荷担するときに、主に従う堅い決意をしなくては敗北してしまいます。「人間をさしている」ことを覚えて目を開いてきょうも歩もう。

<祈り>主よ。時代の嵐の中に動かぬ心理を悟らせてください。

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聖書箇所 ヨハネの黙示録 12章(2012年 2月 8日)

今日のみことば「さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。」(7~8)

天上に展開される激しい戦いです。それは、サタンが滅亡する壮絶な戦いであり、結局は神と主イエス・キリストに勝つことが出来ない。
 10―12節には二つの生き方がはっきりと浮き彫りになります。第一にサタンの働きです。「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」(10)サタンは日夜私たちを非難し続け、告発するのです。人間の弱さにつけ込み、訴え、倒そうとします。ヨブを訴え苦難を強いたサタンを想起させます。
第二にクリスチャンの働きです。「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」激しい戦いに勝利する力は、主の十字架の血潮であり、主をあかしすることばでした。キリスト教の殉教の信仰なのです。その結果が12節に記されている。
困難な戦いが、3年半という7年の半分の不完全な時間として終結してゆく。サタンのどれほど激しい迫害や怒りも終わりの時が来ます。
 彼ら悪の存在は聖徒をいっそう形造る役割を果たしたに過ぎないのです。

主題 <天にある神殿> 

聖書箇所 ヨハネの黙示録 11章(2012年 2月 7日)

今日のみことば「それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。」(1)

神の聖所は、エルサレムに建てられた神殿で、前半は神を信じる者が神を礼拝し、後半は神に従わない者が支配すると考えられる。この42ヶ月や1260日は、3年半であり、この間に二人の証人がこの世の光として活動するのです(4節)。
 患難時代における神の証人たちの苦難が予告される。神はこの患難時代におけるキリストの証人が、やがていのちの息を得て、復活し立ち上がり、天に昇るのです(11-12節)。
 この時期を越えて、7つ目の最後のラッパが吹かれる。繰返すが、ラッパは神の最後の審判の時を告げるのです。このときに、長老たちは、第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」(15節)こととなる。
 17節には、「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。」キリストを賛美します。改めて、主イエス・キリストの歴史を支配されている現実に目が開かれます。世界の歴史は盲目的に動いているのではないことをしかりと確認しましょう。
 ことに神殿のことが最後に記されるが、天にある神殿であり、そこで地上で礼拝する信者が、天への希望の現実があるのです。

主題 <もはや時が延ばされることはない> 

聖書箇所 ヨハネの黙示録 10章(2012年 2月 6日)

今日のみことば「永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。」(6)

ヨハネの黙示録は、神の世界の審判を啓示しています。七つの封印を解かれ、その七番目の封印の中に七つのラッパが展開し、七つのラッパが吹かれるときに七つの鉢が傾けられることになっています。
 こうして、神が計画されたときは、人間的な力や自然災害などの事柄に左右されることなく、確実に遂行されるのです。神の御手をだれも押しとどめることは出来ません。
 私たちは、この神のなされることを受け入れて、信仰をもって待つのです。忍耐は、神の御手の中にあることを信じて安んじるのです。時間は、神のものです。時が延ばされることがない言葉を新共同訳は「もはや時はない」と訳している。神こそ時間を造り、時間を納め、時間の集結をされる。
 人間は時間の中で生活し、時間を絶えず意識されるが、世界も神の中で完成されるように導かれる。時間は終わりとなり、永遠の中に置かれるのです。そして私たちも世界も完成されることを待つ時間、それが今日の一日です。この神のことばを信じる者には、腹には甘く、信じない者には苦い。

2012年2月 2日 (木)

主題 <悔い改めないで>

聖書箇所ヨハネの黙示録9章1~21節(2012年 2月 5日)

今日のみことば「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、・・・」 (20)
「9:1 第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。」と言われる一つの星とは、堕落した天使を表しているようです。堕落してサタンの手下になり、底知れないところの鍵を開くという。こんな悪を働く時代は、きわめて困難な時代である。人々が死ぬことを求めるほどの時代です。しかし、死ぬことを願っても、死が彼らから逃げてゆくのである。
 私たちは、終末の時代状況がこんなにも恐ろしいことを知ったなら、ただ不安に陥るだけでしょう。
 ところが注意深く読んでゆくと、4節には「ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。」とある。サタンの激しい破壊を神はお許しになられているにもかかわらず、神様が神を信じるものたちに付けられた印がある者には、この困難にも勝利する恵みが備えられていることがわかる。
第六の御使いがラッパを吹き鳴らす。ここには<ユーフラテス川のほとり>という実際の場所がはっきりと示されている。
 殺戮(さつりく)を実行する軍隊は2億人もいる(16)。赤、青、いおうを吹き出し、とても奇妙な印象を与える乗り物もあります。でもよく考えるときに、それは現代の武器、戦車、戦闘機、ヘリコプターに何とよく似ているではないか。
 2億という数字は、新約聖書中では最大の数字ですが、万の万倍の2倍というおびただしい数の戦闘が行われることを暗示しています。
  ところで、このような苦難の時代の中で、殺されずに生き残る神を信じない人々は、ものすごい恐怖を味わっても悔い改めないのである。相変わらず偶像を拝み続け、しかも彼ら自身が殺人や魔術をさえ行い、徹底して悔い改めることをしない。
 悔い改めは、恐ろしいからできるものではないことがわかります。神に対する信頼があって初めてできるのです。愛の心がないとできないのです。今という神の招きがあるときに、神の愛の御手を信じて、今までの罪を悔い改め、福音を信じようではないか。ここで、かたくなな心ほど恐ろしいものはないことを悟るのです。素直な心、主に心を開くものは幸いなのです。

主題<7つのラッパの響き> 

聖書箇所ヨハネの黙示録8章6~13節(2012年 2月 4日)

今日のみことば「すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意をした。」(6)

 7つの封印が解かれることは、第7のラッパの審判がなされる展開へと続きます。これがさらに徹底した自然の災いへとなってくるのです。
ラッパを吹き鳴らす「用意をした」(6節)とありますが、「用意をした」という用語は、新約聖書の大切なことばです。バプテスマのヨハネが出現して救い主の出現の先駆者として「主の道を用意し」(マルコ1:3)主は天国に私たちのための場所を「用意し」に行くと語ります。用意周到に万端整って、最後の審判が進んで行くのです。決して思いつきや成り行き任せの終末ではないことを心にとどめておきたいと思います。
第1のラッパは地の破壊(7節)
第2のラッパは海の破壊(8~9節)
第3のラッパは川の破壊(10~11節)
第4のラッパは天体の破壊(12節)
今日は昔と比較にならぬ交通、電気などのライフラインが発達しています。それが当たり前の社会で、一つの地震が日本をマヒさせるようなことは起こりうるのです。地球的な規模で世界中がマヒするような出来事は必ず起こるのです。
今日一日も約束をしっかり受け止めて、生活を整えて行きましょう。
<今週の祈り>
天の父よ。私たちの世界の荒ぶる荒廃、権力の独善、まさに終末の様相さえ感じます。だからこそ、あなたを求め、あなたの支配を願います。難しいヨハネの黙示録も聖霊の助けにより最後まで読ませてください。アーメン

主題 <終末と聖徒の祈り>

聖書箇所ヨハネの黙示録8章1~5節 (2012年 2月 3日)

今日のみことば「また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。」(3)

ついに第7の封印が解かれます。ところが半時間ほど静けさがあったのです。静けさ、それは私たちの心を覚醒させるものです。この静かな中で自分を取り戻すことができます。ところが神を信じないものにとっては、一時の患難からの解放によって気がゆるみ、悔い改めることができないのです。
私たちは、今の静けさの中で神を求める姿勢を作りたいものです。
3~5節に「聖徒の祈り」が記されています。このすさまじい終末の出来事の中に、驚くべきことに、聖徒たちの祈りが重要な鍵を握っていることがわかります。
患難は外から加えられる苦しみですが、このただ中で聖徒たちの祈りが大切な働きをし、御業が進められていくのです。とりなしの祈りこそ、神にあって、罪深い世にあって万事が益に変えられ、救いがなされるように働く奉仕です。
この聖徒の祈りが香となり、天の御座の香炉に入り、やがてこの地に投げ落とされるのです。この地上の出来事こそ、祈りの応答であるとさえ言えるようです。聖徒の祈りは弱々しく見えて、神のなさる地に、強く関係していたと知っていたでしょうか。改めて祈りに本腰を据えねばと思わされます。

主題 <患難の時代の聖徒たち> 

聖書箇所ヨハネの黙示録7章1~17節(2012年 2月 2日)

今日のみことば「それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。」 (4)

 7章には4つのテーマがあり、第6と第7の封印の間、すなわち終末の時代がかい間見られます。キリスト者への希望の姿を描いています。
1、神の忍耐(1~3節)
神は四方にみ使いを置き、患難のすべてをコントロールしていらっしゃることです。また神のしもべに対して、額に印を押してしまうまで害を与えないように配慮しています。
2、残される神の民(4~8節)
ありとあらゆる民族から救われるべき完全な民が満ちるのです。私たちもまた神の選びの中に置かれていることを深く感動をもって感謝したいと思います。
3、小羊こそ救い主(9~17節)
天にいるおびただしい神の弟子たちが、御座にいます小羊に向かって、力の限り賛美しているのです。大声で、とは全力を尽くしている姿でしょう。ところであなたの大声をだす場はどこでしょう。全力を尽くして主をほめたたえたいものです。
4、白い衣を着ているクリスチャン(13~17節)
どんな患難をものりこえる聖徒たちがいます。彼らは行いからではなく、主の恵みの泉からいのちの水を飲んだ人々でした。

主題 <7つの封印が解かれる> 

聖書箇所ヨハネの黙示録6章1~17節(2012年 2月 1日)

今日のみことば「小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。」(9)

だれも解くことができないとヨハネは号泣するが、ただひとりほふられた小羊なるキリストが終末の歴史を開封できるのです。主を弱々しく考えている人はいないだろうか。主こそ、まさに歴史の主なのです。主こそ真の神なのです。
聖書では、7つという数が完全な意味をもっています。封印も7つありますが、本書は6つまで開かれます。封印が神の終末の世界の歴史の展開される経過を示して完全な計画が遂行されるという意味です。
この解釈については、長い教会の歴史から説明を試みる立場の人もありますが、やはり終末の出来事として考えたほうが妥当でしょう。
この箇所の白い馬、赤い馬なども霊的な真理を表し、患難時代におけるこの世の支配者をさしているようです。
小羊なる主イエス様が、第6の封印を解く(12~17節)とき、大きな天変地異があって、それは想像を絶するほどのことが起こるのです。このときに、地上で権力をふるっていた地上の王たちが岩間に隠れ込むときが来ます。そして、「御座にある方のみ顔と小羊の怒りとから私たちをかくまってくれ」と言うようになるというのです。
神の御顔、それはキリスト者にとってかけがえのない慕うべき臨在なのですが、神を信じない者にとってそれは恐ろしい存在となるのです。小羊の怒りとは珍しい表現です。あの柔和なロバの子に乗ってエルサレム入城した主が怒られるのです。この怒りほど恐ろしく、本物の終末における審判なのです。

主題 <ほふられた小羊に栄光が集まる>

聖書箇所ヨハネの黙示録5章1~14節(2012年 1月31日)

今日のみことば「彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富みと、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」」(12)
天に一つの巻き物があります。御座に座っている方の手の中にある封印された書こそ、世界の歴史に関わる、いや近未来に直結した預言書なのです。封印されているこの書をひもとくに値する者はだれもいません。このゆえにヨハネは激しく泣いたのです。しばしば、自分こそこの封印を解くにふさわしいと沢山の人物が登場しました。政治的指導者、宗教のカリスマ性をもった偽キリストや預言者たちは自らをそう語り、仰がれた人も多かったのです。封印を解ける人とは、神の世界の歴史を遂行する方であり、神のご計画を導かれる方です。ここに、ユダ族からでたダビデの根(5節)、ほふられたと見える小羊が立っていた(6節)といわれています。主イエスこそこの世界の歴史の封印を解き進めるお方である、というのです。この小羊がみ座にすわる方から巻き物を受け取られ(7節)、ついに主にあって歴史が動き始めたのです。
 ところで、この時に、金の鉢に入った香りが天に上ってきたことが8節に記されています。「この香とは聖徒たちの祈りである」。神が歴史を動かされようとしている時に、聖徒たちの祈りが、神のご計画の中に入ってくるのです。この祈りが地上の神の裁きの中に加えられるのです。
御座の回りにいる大群衆は、数え切れません。万の幾万倍、千の幾千倍の人であり、小羊の尊い血によってその衣を白くされ、栄光の御国に移された人々のことです。
彼らは大声で賛美をささげます。救われた喜びと感動があふれて、力限り大声で歌います。全身全霊を上げて神をほめたたえるのです。日毎の私たちの賛美もまた、こうでありたいものです。
「ほふられた小羊は力と富みと知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるのにふさわしい方です。」ほふられた主は、釘打たれ、真っ赤な血を流し、恥ずかしめを耐えて遂に死なれ、本当に受難の中に生涯を終えたのです。
この恥ずべきお方を、この世の人々は愚かと思い、無駄な死と思うでしょう。しかし、救われた私たちにとって、主の犠牲の血潮は尊い神の愛です。
ほふられた主こそ、ありとあらゆるもの、力も、栄誉も、賛美も、受けるのにふさわしい方です。今日この方に向かって、私たちのすべてをもって賛美をささげましょう。